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「藝人春秋」①への書評

牙を抜かれる前の輝き記録

By.佐々木 俊尚

2013年2月24日「朝日新聞 朝刊」より

​ 芸能界という怪異な世界に生きる「芸人」たちの壮絶な姿を描く。ビートたけしや稲川淳二などお笑いのビッグたちからホリエモンやテリー伊藤まで。みずからも芸人である筆者が、当事者として目撃した場面の数々は圧倒的で、息を呑まされる。そのまんま東が師匠のたけしに殴られ、顔を腫らしながらもダジャレをさらに放ち、周囲を凍りつかせた事件、故ポール牧が自分の自殺未遂した際に詠んだ辞世の句を後輩たちにそろって復唱させ「普通の人じゃこんなの書けやしませんよ」と言い放った事件。鬼気迫る、というのはこういうことを言うのだろう。自らの内面に鬼気を抱え、鬼を時には暴走させ、時には屈服させ、身体を張る芸人という職業。
 最近はテレビが元気を失い、過激だったお笑い芸人たちもすっかりキバを抜かれたように見える。本書で描かれているエピソードは90年代ごろの話が目立ち、古き良き時代への回顧として読む人もいるだろう。だが本書に登場する芸人たちの大半は現役で、いまもテレビに出ている人たちだ。
 振り返ってみれば、お笑いの立ち位置はこの20年で大きく変わった。論壇のような権威は衰える中で、お笑いタレントがニュース番組の司会者やコメンテーターや政治家となり、ヒューマニズムを呼びかけ、庶民を代弁するようになる。かつては芸能界でも下位と見られ、だからこそアウトサイダーとして社会に鋭く光を照射していたお笑いが、今ではメインの立場をとらされてしまったのだ。
 だから芸人たちは、もはや毒を放てない。彼らはキバを抜かれたのではなく、キバをしかたなく隠して生きているのだ。このキバの覆いがもう一度剥ぎ取られたとき、テレビは再生するのかもしれない。

水道橋博士「藝人春秋」

出版:2012年12月05日

 

北野武、松本人志、稲川淳二……最強の藝人=日本人論――。今を時めく芸人を鋭く愛情に満ちた目で描き、ベストセラーとなった傑作藝能ルポ・エッセイ。文庫版には「2013年の有吉弘行」を特別収録! 解説・オードリー若林正恭。

【作品紹介】

浅草キッド・水道橋博士が現実という「この世」から、芸能界という「あの世」に飛び込んで数十年。そこで目撃した数多の名人、怪人の濃厚すぎる生き様を、天性のルポライター気質で描ききったのが本書です。そのまんま東のロマンチシズム、失われた古舘伊知郎の話芸の凄み。同級生・甲本ヒロトのロック愛に、博士自らも原点を見出す姿はもはや感動的です。その原点、ビートたけしと松本人志という2人の天才が交錯する一瞬に見える芸人の業の深さよ。「藝人」が「文藝」を超えた! とすら思わせる渾身の1冊です。(書籍担当)

・水道橋博士「芸人という星たちが 織りなす星座を描きました」-自著を語る(2012.12.13)

・水道橋博士「いじめ問題によせて~「爆笑問題といじめ問題」全文公開~」-自著を語る(2012.08.03)

・水道橋博士の電子書籍「藝人春秋」は、名言の玉手箱!-新刊を読む(2012.03.09)

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【レビュー一覧】

■ 「藝人春秋」への感想 ※著名人バージョン

■ 「藝人春秋」について。ファン、読者、有名人、書店その他、各界の反応

「朝日新聞 朝刊」 評者:佐々木 俊尚 

「J-WAVE」 評者:三谷 幸喜×清水ミチコ 

「朝日新聞 夕刊」 評者:カンニング竹山
「週刊読書人」 評者:南陀楼 綾繁

「勝谷誠彦の××な日々。」 評者:勝谷 誠彦

「同級生からの手紙」 評者:K
「ラジカントロプス2.0」 評者:植竹 公和
「週刊新潮」 評者:立川 談四楼
「週刊文春」 評者:樋口 毅宏
「KAMINOGE」 評者:九龍 ジョー

「Switch」 評者:吉田 大介

「週刊現代」 評者:西村 賢太

「Amebaブログ」 評者:酒井 若菜

「ダ・ヴィンチ」 評者:宮 昌太朗
「Amebaブログ」 評者:東国原 英夫

「ライブドア・ブログ」 評者:矢野 利裕
「週刊朝日」 評者:長薗 安浩

「東京ウォーカー」ブックレビュー欄

「Google+」 評者:秋元 康

「サンデー毎日」 評者:中野 翠
「AERA」 評者:吉田 豪

「Hatena::Diary」 評者:町山 智浩
「ケトル」 評者:伊賀 大介
「毎日新聞」 評者:樋口 卓治
「夕刊フジ」 評者:岡崎 武志

「エキサイトレビュー」 評者:杉江 松恋
「週刊エコノミスト」 評者:中江 有里

「Qualia Journal」 評者:茂木 健一郎

「週刊読書人」 評者:田原 総一朗

「漫画ゴラク」 評者:花くまゆうさく

「東京人」 評者:苅部 直

「図書新聞」 評者:はにぃ

「THE MONTHLY MITSUBISHI」 評者:中条 省平

「NHKラジオ第一」 評者:松田 哲夫

「asahi.com」 評者:最相 葉月

「本よみうり堂」 評者:益子 由梨絵

「GOETHE」 評者:清水ミチコ

「Hatena::Diary」 評者:とみさわ昭仁

「TOKYO FM」 評者:島田 雅彦

「新潮45」 評者:山村 杳樹 
「TVぴあ」 評者:田中 直人
「通販生活」 評者:赤江 珠緒

アンカー 1

『藝人春秋』を読んで
By.三谷幸喜×清水ミチコ

2013年2月20日放送 J-WAVE「MAKING SENSE」より

『落ち込んだときに……』という話題の中で―― 

三谷: 水道橋博士の本を読んだって言う……。 
清水: あれ面白かったねぇ、三又さんとかね。 
三谷: 犬の闘病生活やってる時に、一番読んで欲しい本ですね。 
清水: 限定されてますけど、全国的に読んでもらっていいと思いますよ。 
三谷: 面白いし、やっぱり文章上手だし、いろんな芸人さんっていうか、たけしさんとか、爆笑問題さんとか、三又さんとか、テリー伊藤さん、古館さんとか。 
清水: 歌手でヒロトさんとかね。 
三谷: 水道橋博士の客観性が、入り込んでるけどちょっと俯瞰でみてる感じのね、距離感がすごく面白かった 
清水: あれはなんか勉強してきた人独特のね、距離があるよね。 
三谷: 書かれている人が結構クセのある人だけど、でも嫌いにならないっていうか。 
清水: そうそうそう! 
三谷: もう古館さんに会いてくてしょうがない。 
清水: なに聞きたいの? 
三谷: うーん……そこまでは考えてないけど。顔がみたい。 
清水: あらためて。 
三谷: あと三又さん、僕はまだお会いしたことがないんですけど、ちょっと話し聞いてみたいですね。 
清水: そうですね。でも必ず調子に乗ってると思いますよ、今、これ聴きながら。 
三谷: ハッハッハッ 
清水: フッフッフッ 
三谷: でも水道橋博士に伝えたかったですね。「面白かったですよ」って。 
清水: あっ、メールでそんなことしてないか。ワタシ言っときますよ、きっと喜びますよ。
三谷: ぜひぜひ。なんで僕のことが取り上げられてないのか?とかね。 
清水: 言っときます。 
三谷: そこまでまだ興味をもたれてないんだなぁって。 
清水: ホントだぁ、三谷さんあそこには不似合いだね。 
三谷: あそこの中には入れないですね、キャラ的にも。 
清水: そう思うと意外と凡人かもね。 
三谷: 僕は普通の人ですもん。かなり強烈ですもん 
清水: かなり強烈。こんな人がいるんだって感じだもんね。 
三谷: 古館さんの立ち位置っていうか、初めて腑に落ちたっていうか。 
清水: ふーん、そんなすごい事書いてあったの? 
三谷: いや別にそんなすごくないですけど、彼が今までやってきたこととか、どういう人なんだろうみたいな。 
清水: アナウンサーだったのに実況がすごい話題になっちゃって、いきなりの転身ですよね、そういえば。『オシャレ30・30』とか色々やって。 
三谷: すごい考えてるっていう、古館プロジェクトを含め…… 
清水: そうね。ぜひ皆さん機会があったら読んでみてください。読んで損はない本だよね。 
三谷: 面白かったですよ。とにかく犬の介護をしている時は、本当に読むと…… 
清水: もう一回言わなくてもいいかと思いますけどね。

忘れられない頁

By.カンニング竹山

2013年2月16日 朝日新聞夕刊より

​ 最近おもしろかったのが『藝人春秋』。
  才能もクセもある芸人たちを、博士らしい鋭い観察眼でルポした本です。
 心に響いたのは、石倉三郎さんの「辛坊ってのは、辛さを抱きしめるってことだからな。」のくだり。
 この仕事をしていると、辛抱しなきゃいけないときがけっこうあるんですよ。
 だけど、普段は照れて言えないかっこいい言葉をたまにポロッと出すような文化的な人たちの近くにいられる。芸人という職業に就けてよかった、と僕はこの本を読んで改めて思いました。

「芸人」のあるがままの姿  何年かに一度、読み返したくなるだろう

By.南陀楼綾繁

『週刊読書人』2013年2月8日号より

 バラエティの司会者、グルメ番組のレポーター、ニュースのキャスター、ドラマの脇役。どの局、どの時間帯にテレビをつけても、芸人の顔を見ないことはない。不思議なことに、漫才やコントでデビューしても、いったん売れるとテレビではその芸を披露することはほとんどなくなり、芸人という肩書だけが芸能界の通行手形のように使われるのだ。
 浅草キッドの水道橋博士は、ビートたけしに憧れて弟子になって以来、この世界で二十年以上生き抜いてきた。「たった一日の収録で多くの人が行き交い、斬り合い、そして声なき声を結び、また別れ行く」テレビの現場で、博士が出会った人々の一瞬の表情を掬いあげたのが、本書だ。
 とはいえ目次に並ぶ名前を見ると、戸惑い覚える。純粋に芸人と呼べるのは北野武や松本人志などごく一部だ。そのまんま東はいまでは政治家の東国原英夫だし、芸人出身の石倉三郎や稲川淳二も別の肩書がふさわしい。ほかも、草野仁、古舘伊知郎、甲本ヒロトらのように芸人のイメージのまったくない人ばかりである。博士にとって、「芸人」とは何なのか? 
 テレビの世界では、虚と実が入り混じり光と影が交錯する。編集されパッケージになった番組は口当たりのいいものであっても、収録の現場で一触即発の事態が起きていることもある。そういった視聴者の立ち入れない向こう側に身を置いている人。恋愛や離婚など身の回り出来事がスキャンダルとして取り上げら れることを、引き受けざるを得ない人。それらをひっくるめて、この世界で生きている人。そういう人を博士は「芸人」と呼ぶのではないか。
 たとえば、そのまんま東。淫行疑惑や暴行事件で何度も謹慎し、その一方で、マラソンや大学受験などに真剣に取り組んだ。「割れたガラスの破片」のように酒を飲み、泥酔すると目上の人にからむ。幼いときに父親と生き別れたという欠落感が、過剰な行動に走らせるのだ。石倉三郎は「やりたくない事はやらない」という姿勢を貫き、コント・レオナルドで売れたときも舞い上がったりしなかった。「自分の身の程を知る簡単な方法は、現ナマを実際、触ってみることだよ」と淡々と語る。
 浅草キッドはまた、実業の世界で成功した人物から「キャラクター」を引き出し、テレビの中で"素人芸人" 」に仕立て上げるという罪作りなこともやっている。古くは城南電機の宮路社長、美白の女王・鈴木その子から、本書に出てくる堀江貴文、湯浅卓、苫米地英人まで、多種多様な「異物」をテレビの画面に登場させた。存在感のインパクトだけで取り上げられた彼らの旬な時期は短く、次第に消えてゆく。
 ベビーフェイスににこやかな笑みを浮かべ、辛らつな言葉を発するテレビでの振る舞いと同様、博士は彼ら芸人を過剰に持ち上げたりはしない。笑える話にも感動的な話にも冷静にツッコミを入れる。しかし、その裏には、自分には持ってないものを持ち、やれそうもないことをやれる人への畏敬の念が隠されている。
 障害を持つ息子と同き合うためにテレビに出ることをやめたという稲川淳二についての章では、博士は冷徹な観察者としてではなく、芸人としての姿勢を問われる立場に自らを追い込んでいる。
 芸人という奇妙な生態を発掘してきたお笑いルポライターの博士は、本書では、身を切られる痛みに耐えながら、芸人のあるがままの姿を描いている。いまも生きている彼らがどうなっていくのか。そのことを確かめるために、何年かに一度、本書を読み返したくなるだろう。

水道橋博士「藝人春秋」について

By.勝谷誠彦

2013年2月3日 勝谷誠彦の××な日々。より

 水道橋博士さんが大変な恐るべき書き手であることは承知していたが、この手法には脱帽した。
芸能界のど真ん中を活写しながら鮮やかな自伝的小説になっている。私は一時期流行った「軍隊もの」の作品群を連想した。自らの従軍体験を綴るのだが、大概は自慢話に終始する。
しかし面白いのは「飯炊き兵物語」のような自らを客観視して笑い物にできる能力を持った書き手のものなのだ。
この本はそうした手法のひとつの到達点である。

我々はまだ「春秋」に富んでいる…「藝人春秋」に寄せて

By.K

2013年1月28日 同級生Kからの手紙より

「藝人春秋」、とタイトルを聞かされて、「春秋」の方に着目してしまった。 

 歴史学徒の端くれとして言えば、「春秋」は古代中国の歴史書で「史記」より古いというのがまず浮かぶ。先に「お笑い男の星座」を「史記」になぞらえた我が身としては、「史記」の後に「春秋」が執筆されてはどうも収まりがつかない。 

 ただ、「藝人春秋」の性格は「史記」ではなく、やはり「春秋」だ。「お笑い男の星座」が「口承文学」の影響を色濃く引き継ぐ「史記」の性格を引き継ぎ、ある意味「哄笑文学」ですらあるのに対し、「藝人春秋」は、ルポ芸人である博士が、「報告文学」としてきっちり書いており、古代中国の「魯」の史官が綴った「報国」史書である「春秋」に系譜は近い。この本はやはり「春秋」で正しいのである。 

 ただ、内容は、当然、「お笑い男の星座」より進化(深化)している。「星座」と同様に、掛詞や縁語、隠喩はきっちりちりばめられているが、「報告」を邪魔することもなく、ある種のリズムを与えながら穏やかに収まっている。素材を殺さない「老獪」さを確かに身に付けた。また、文章に締まりを与えているのが、文学的な香りがする漢語系を効果的に入れていることで、目に付くだけでも、「草廬三顧(72頁)」、「俚諺(194頁)」、「滂沱の涙(293頁)」などとお笑い文学はおろか普通のルポでも中々目に付かない言葉が並ぶ。 

「キッドのもと」で「ルポライター芸人」をカミングアウトした博士名義の第一作としては肩書きに恥じないもので、早くもある種の水準は凌駕しつつある。 
「男の星座」は大宅壮一ノンフィクション大賞にかすったが、この本のレベルであれば当たるかも知れないと思う。余談だが、同賞は我々の附中同期生だった川口(旧姓も現姓も島田)有美子が「逝かない身体」で2010年に取っている。島田は1C、2Cで2年途中に転校した。博士が取れば中学同期で2人受章という希例になるのだが。 

「春秋」と聞いてもう一つ思い浮かんだのが「春秋に富む」という表現。 
「春秋に富む」の言葉が浮かんで頭から消えなかったのは、「藝人春秋」の中でもう一つの底流をなしている甲本の「14才」のせいだと思う。「14才」については既に「お笑い男の星座2」の「江頭グランブルー」で言及していたから、博士の意識の底流でもあるのだろう。博士は最近、附中についての語りを増やしているようで、その辺は何となく感得される。 

「14才」の時の一大イベントは中学3年に成り立ての5月の修学旅行だった。博士も甲本も中川智正も私もみんな14才だった。博士は別府の宿で「英文で小説を書きたい」、「芥川賞を取りたい」と夜話で語り、甲本は長崎の宿で私と並んで浴場の戸口に佇み、中川智正は女の子にアタックして振られていた。「14才」と聞くと、あの濃縮された3泊4日が思い出される。まさにあの頃こそが「春秋に富んでいた」時代だったのだなあと改めて思う。嗚呼、それから幾星霜。50才になった我々が「春秋に富む」とはお世辞にも言えまい。 

 ただ、「稲川淳二編」を読んで、博士はまだ「春秋に富んでいる」と感じた。この編は異色でもあり圧巻でもあるのだが、初出が2002年冬でそれから十年寝かせているということに思い当たることがあった。まさにその10年間に、博士は結婚して三児を授かって育児をこなし、また、父親の死に遭い自らも大病を患うという経験をしてきたのだ。多分、10年前にそのまま出していれば「稲川淳二編」はここまでの傑作にはならなかっただろう。傑作の背景には、博士の「今までとは違う全く新しい10年間の人生」があったのだと思う。それが博士の「老成」、「熟成」を感じさせる一品に象徴されている。 

 今後も我々の身の回りには厄介が起こり、それで経験値がアップして行くのだろうが、それが藝に反映されて、「老獪」に「老成」できればまだ「春秋に富む」と居直ってもよいのだろう。そういう意味では、50才になっても「終わっていない」どころか「まだ何も始まっていない」のである。 

【その後のはなし】 
 2008年12月に博士のところに持っていった「日本の軍事革命」は、国内では余り日の目を見ていないが、なぜか韓国人に気に入られて韓国語訳が出てしまい、2012年10月にはその縁で釜山の国際学術会議に呼ばれて発表までさせられるというオチがついた。久々に読んだ「お笑い男の星座1」の最後の殿の台詞に「この商売は自分が星だと思っていればいい。ちっちゃくて星屑だろうが、この人だけには届かせようと一生懸命輝くことだ」とあったが、「しょぼくれながらも輝いていれば、思わぬ所にも光は届くんだよな」と改めて感じた次第だった。

 そして、中川智正の死刑が確定して1年が過ぎた。ケツの友人の窪野君(仮名)は相変わらず東京拘置所に通って、面会を続けている。博士が甲本のルポしている一方で、窪野君は相変わらず「机の中の作家」として中川智正をルポしている。この面会がいつまで続くが分からないが、当分終わりそうにないし、その意味では「春秋に富む」のだろう。 

追伸:ケツが博士の出演ラジオを独房で聞いていたら、附中の話題になって、「何年かかかって東大に入った奴も居た。面白い奴だけどね」と言っていたとか。相変わらず、記憶の片隅に残して貰っていて光栄です。

水道橋博士の「藝人春秋」文学賞メッタ斬り

By.植竹公和

2013年1月27日『唄う 放送作家』より

​ 僕にとって「世界で一番受けたい授業!?」の作家関川 夏央さんの授業講習を受けたのは2007年9月だった。その月、4週連続の土曜日2時間近い授業を横浜の図書館で運良く聴講できた。テーマは時代小説。平 均年齢65歳くらいの熱心な受講者がいらしていて、僕なんて年齢的に少年のようだった。

 

 関川さんの話がある時、吉川英治の「宮本武蔵」の話になった。「宮本武蔵」は大衆性を勝ち得た小説で国民的文学とその後言われるまでになっ た小説である。「宮本武蔵」が流行小説になった頃、関川さんはある光景を目撃した。吉川英治の「宮本武蔵」を、サラリーマンのおじさんが電車の中で声を出 して、「音読」していたというのだ。関川さんは後日、実際、それを真似て読んでみた。小説が踊り、調子が出たという。「宮本武蔵」は黙読するよりも音読す るのに、よりふさわしい文学。それは吉川英治が講談の影響を受けていたからだったのでは?という推測だった。吉川英治が最初に当選した小説も『講談倶楽 部』に送ったものだ。


 今回、水道橋博士の「藝人春秋」を横須賀線の車内である日、読んでいた。僕は無意識のうちに、「音読」している自分に傍と気づいた。「藝人 春秋」は齋藤孝の『声に出して読みたい日本語』ではないが、声に出して読むと味わいが倍増する本である。美辞麗句、比喩、暗喩の使い方が水道橋博士に講談 の素養があるか否かはわからないが、僕には講談調を思わせた。

 

 博士は漫才師である。しゃべりで伝達することを長年の間、刀を磨くように鍛錬してきた。
 漫才も講談も話芸で、言葉の無駄を削ぎ落とした練られた芸である。

 

 言葉を発さなくても許される文章を書く作家と、空気中に発しても美しい言葉であり続けなくてはいけない前提の言葉を発する藝人が書く文章とは自ずと違いがあるはずだ。

 

 水道橋博士はデビュー当初から、今まで、その立ち位置は芸能界、テレビ界の常に異邦人である。この本は明治の頃、エドワード・S・モースが『日本その日その日』を、イギリスの女性旅行家イザベラ バードが『本奥地紀行』を記したように、何十年に渡って、芸能界という座りの悪い場所で旅を続けてる藝人の観察文学である

 

 さて、藝人が藝人を語ることは野暮といわれる。

 

 そこを博士はどういう落とし所を自分につけているのであろうか?   


 テレビではまったくやらないから(放送禁止用語だらけで、正確にはやれないから)一般の人にはあまり知られないが、博士は50歳を過ぎた今でも、定期的に漫才のネタを下し続けている。このことが大きいのではないだろうか?

 

 浅草キッドとして、高田文夫さん主催の「我らの高田"笑"学校」で常に長年、トリを取り、勢いのある旬の若手藝人と平場でガチで勝負し続けている。常に漫才師という藝人の現役であり続け、若手藝人をねじ伏せて来ていることを担保にしているのだと思う。

 

ほとんどの中堅以上の藝人がある時期からネタを下ろす苦しい作業から降りる。だが、浅草キッドはこのステージから決して降りようとしない。このルールが他の藝人を語ることを自分に許す掟にしているのではないだろうか


 かつて安藤鶴夫『巷談本牧亭』が実存した講釈師の桃川燕雄などのことを書き、直木賞を受賞した。『巷談(こうだん)本牧亭』2008年に立 川談春の「赤めだか」が出版された時、これはすごい伝記文学が出現したと思った。しかも、弟子と師匠のことをここまで赤裸々に書いた藝人文学。もしかし て、直木賞、獲るのでは?と僕は思った。(その赤裸々さから言えば、むしろ、私小説のジャンルなので、芥川賞候補か?)

 

 水道橋博士の「藝人春秋」だ。出版社は直木賞の主催社文藝春秋社である。次回の直木賞、安藤鶴夫『巷談本牧亭』以来の作品として、候補になってもおかしくない出来だと思う。

 

 僕が司会をしている「大森望&豊崎由美のラジカントロプス2.0文学賞メッタ斬り」(ラジオ日本)の俎上に登って、多いに盛り上がって欲しいと実はのぞんでいる。

"作家"の王道を歩む傑作人物ルポ

By.立川 談四楼

『週刊新潮』2013年1月31日号より

​ 浅草キッドとしてデビューした頃から注目していた。相棒の玉袋筋太郎に鋭いツッコミを入れ、笑いを取りながらも目が笑ってなかったからだ。 
 司会やコメンテーターとしても、場の雰囲気は壊さないまま、言葉が芸人のそれではなかった。もしや“書く側の人?”と見込んだのだが、出色の本書に見られるがごとく、紛れもない作家であった。 
 いま私は鼻が高い。だから周辺に本書を勧めている。で思う。元々そういう人であったのかと。岡山は倉敷に生まれ、進学校に行くも高1でダブり、内向したままひとりぼっちで過ごす。同級生に名前で呼ばれることもなく、家族さえ赤の他人に思えた。 
 唯一の楽しみは『ビートたけしのオールナイトニッポン』で、ある日パーソナリティーは、リスナーの悩みに「一々、俺に相談すんな!」とキレ、「悩んでる奴はとっとと死んじまえ!」と突き放した。 
「そこからボクは、大学受験を口実に、ビートたけしのもとへ行くことを決めた」となるのだが、即入門となったわけではない。著者は4年逡巡した挙げ旬に何とか軍団に潜り込むのだ。 
軍団はいじめが裸足で逃げ出すほどの苛烈なしごきの縦社会だった。「それをボクは望んだのだ」と著者は言うが、世に出るまでのそんな経緯が作家の目を育てたのだと確信する。 
 煮え切らない。優柔不断。しかしやる時はやる。そんなスタンスを文章から感じる。そのまんま東、甲本ヒロト、石倉三郎、草野仁、古舘伊知郎、三又又三、堀江貴文、湯浅卓、苫米地英人、テリー伊藤、ポール牧、爆笑問題、北野武、松本人志、稲川淳二。 
 著者はそれらの人に容易には接近しない。付かず離れず距離を保ち、観察し、ここぞという時に質問を浴びせかける。すでに信頼関係が構築されているから、対象も胸襟を開く。作家、ルポライターとしての王道である。誰が自分を知らない取材者に本音など語るものか。 
 軍団の古手は殿の運転手や付き人の経験がある。しかし著者にはそれがない。十把一からげの扱いだけに殿への憧憬が募り、声をかけられただけで飛び上がるほど喜ぶ。そんな純度の高さが全編を貫いている。 
 本書の企画は10年前にあり、原稿も上がっていたという。なぜためらい、今なぜゴーサインを出したかが掉尾で語られ、そこがまたいい。老婆心もある。こんなスゴイ本を出して後が大変だと。いや著者の技量ならそれも軽々と超えるかもしれない。

博士の語る、十六人のフリークス列伝

By.樋口毅宏

『週刊文春』2013年1月31日号より

『藝人春秋』を読み終えてからひと月余りが経過したが、僕の中の混沌は大きくなるばかりだった。
 水道橋博士が十年にわたって手を加えてきた、怪人十六人の伝記。顔ぶれは博士の同級生である甲本ヒロトから、ホリエモンや苫米地英人といったトリックスター、師匠のビートたけしまで幅広い。どれもが博士のアンテナに引っ掛かった、稀代のフリークスだ。『男の星座』シリーズで文章には定評のある博士だが、本作も理屈抜きに楽しめた。
 しかし僕には思うところがあった。「面白い」のひとことで片付けていいものか。『藝人春秋』は、底が丸見えの底なし沼に深々と手を差し込んだ著者による、泣き笑いに満ちた慟哭集だが、それだけではないはずだ。 
 あるとき、表紙にあった男の透徹した眼差しに、ようやく気付いた。水道橋博士は、僕自身だったのだと。
 私事で恐縮だが先日、『ルック・バック・イン・アンガー』という本を上梓した。僕が出版業界で出会ってきた人たちの物語だ。 二十三歳のとき、コアマガジンというエロ本伏魔殿に飛び込んだ。そこは天才異才奇才の集まりで、否が応でも自分が凡人だと気付かされた。それでも編集者として十三年間を過ごし、いくつかの幸運な出会いと何かの間違いによって、僕は今、作家を名乗っている(いちばん才能のなかった男が!)。
 水道橋博士も二十三歳のとき、ビートたけしに弟子入りした。生まれたときからずっと自信が持てず、タナトフォビア(死恐怖症)に苛まれてきた氏が魑魅魍魎の跋扈する芸能界で、「どうやっても王になれない」と、絶望の地点から歩き始めるしかなかった。そして世界をその手に獲得できる唯一の方法は、自らの藝を磨きつつ、一流の語り部になることだと知り、今の博士がいるのだと思う。 
 二〇一二年冬、わずか一週間違いで水道橋博士と樋口毅宏の「報告文学」が出たのは偶然ではない。運命なんだと勝手に思っている。

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〈謎〉が口を開けるまで見つめてみよう。

By.九龍ジョー

『KAMINOGE』Vol.14より

​ 正月に読んだ水道橋博士の新刊『藝人春秋』(文藝春秋刊)もまた、藝人たちの生き様から浮かび上がる〈謎〉をめぐる傑作ノンフィクションだった。
 あくまで謎ときではなく、謎を謎のまま敬意を持って受けとることで、見かけの謎ではなく、その奥に深淵のような巨大な〈謎〉が口を開けてくる。深淵をのぞき込むとき、深淵もまたこちらを見つめている。
 冒頭に置かれたそのまんま東の章からして、そこに書かれている事実だけでは消火(消化)しきれない藝人の業火が、博士自身にも飛び火しているように見える。極めつけは最後に置かれた稲川淳二の章だろう。なぜ稲川淳二は怪談を語り続けるのか? 
 一筋縄ではいかない幾重にも祈り重なった問いを秘めながら生きる藝人の〈謎〉は、つま先に落とせば痛みを感じる重さで胸元に迫ってくるのだ。 
 本書には、その深淵の深さや謎の重さを前に、とまどい、逡巡する博士自身の姿もまた刻印されている。博士が携える唯一の道具は「物語」。言わば『藝人春秋』は芸能界のGONZOたる水道橋博士流のニュージャーナリズムなのである。

名文で活写される「藝人」たちの人生。
これはエンタメと私小説が融合した文学的事件だ

By.西村賢太

『週刊現代』2013年2月2日号より

 本書の帯文を一瞥し、俄然熱くなってしまった。 
 リリー・フランキー氏の推薦の言葉に〈博士の、私小説としての大傑作〉との一節がある。 
 私小説なら読むのも書くのも大好物であり、またこのジャンルに関しては当然自分なりの持論も秘めたる私であれば、まずは「お手並拝見」と云った、内心の危惧を押し隠した極めて居丈高な目線でもって、これを開こうと云うのはごく自然な流れである。 
 そして本書の読了後に、再度私は熱くなっていた。胸に、はな思いもよらなかった、まこと不思議な熱いものがこみ上げていたのだ。 
 その熱いものとは、ただ深き感銘、感服のみを指すものではない。本書で著者が採られた構成に、実に奇蹟的なものを感じたのである。 
 全十五章による各篇は、著者が或るときは常識人的視点の語りべとなり、また或るときには筆禍も舌禍も厭わぬ過激な狂言廻しの立場にて、身近に接した「藪人」の姿を活写してゆく。 
仮に一篇だけ読んだとしても、その内容はとてつもなく面白い。 
 例えば“三又又三”の章は、捕獲者の冷徹な視点と、同門の後輩に対する口の悪い讃辞の混淆が、結句或る種の感動を喚起させる。まことに王道と云えば王道の、滋味溢れる名文だ。 
だが、これら十五章は、その“まえがき”と“あとがき”をも併せて通読すると、実に緊密な連作が形成されていることに気付かされるのである。 
 しかしそれでいながら各章は、決して初出の編年体に並べられてはおらぬ、全く不可思議な構成の仕掛けがなされており、かつ、それが見事に連作長篇としての成功作と云う奇蹟となり得ているのだ。 
 無論、それは著者の極めて意識的な作意によるものであろう。 
と、するなら本書の著者が、これらの諸篇に初手からして従来の連作私小説とは、その構成もスタイルもたがえた或る種の挑戦の意図を含んでいたと憶測するのも、あながち的外れな私見ではなかろう。 
 ともすれば、個人のどうでもいいような些事を“文学”の美(?)名の下に開陳し、結句すたれた私小説に、エンタメ要素を果敢に融合させた新たな手法による本書が立ち現われたことは、特筆すべき“文学的事件”に違いあるまい。

出会った「その時」を描く、水道橋博士による一期一会のルポルタージュ。自身も芸人だからこそ拾い出せる、15組との出会いと別れ、その物語

By.吉田大介

『Switch』VOL.31 2013年2月号より

 一期一会という言葉は、「この人」には一度しか会えないかもしれない、だからこの出会いを大事にしようという意味でよく使われる。でも、もともとの意味は、「この時」は一度しかないということだ。「この人」と出会ったに「この時」は、一度しかないということ。 
 漫才コンビ「浅草キッド」の水道橋博士が綴る『藝人春秋』は、藝人達との一期一会のルポルタージュだ。
 そのまんま東、石倉三郎、ポール牧、爆笑問題、松本人志、稲川淳二。シリアスな現実をも笑いに変える、「業」を背負った偉人達との出会いと交流の日々は、覗き見や又聞きするぶんには楽しいけれども、現場にいたら緊張で背筋が凍るだろう凄味がにじむ。
 博士が設定する「藝人」の枠は、常人よりも広い。古館伊知郎、堀江貴文、「ロックフェラーセンターを売った男」湯浅卓、「ロックフェラーセンターを買った男」苫米地英人、テリー伊藤、甲本ヒロト……。 
 それぞれの「藝人」の個性に合わせ、オーダーメイドされた文体が楽しくてたまらない。草野仁の章では、歴史上の偉人を語るような講談口調を採用。本人の口から披露される「最強伝説」を、語り部の力で、高尚さの極みへ導いた。
 たけし軍団の愛すべきおかまキャラ・三又又三の章では、文章のすみずみにおかま絡みのダジャレを仕込み、あえて「安い」「スベッてる」ムードをかもし出す。人を立てる、とはこのことだ。 
 実は、本書は事情により刊行が遅れ、企画自体が凍結されていた(その事情も語られている)。ほとんどの文章は、2000年~06年の間に各種媒体で発表されたものだ。
 そのため、各章のラストに「その後のはなし」というコラムが書き下ろされた。ある人はまったく「藝」を変え、ある人とは断絶し、ある人とは距離を縮めることのできぬまま時が流れた。本文との間に生じるタイムラグが、味わい深いドラマを生む。 
 長いあとがきで語られるのは、本当に、―度きりしか会えなかったある人との思い出だった。悲しみがよぎる。でも、読み進めていくうちに勇気に変わる。一期一会の「一」を思い返し、愛を込めた文体で語り直 すことで、十にでも百にでも高めればいい。その実践が本書だったのだと、気付くことができるから。 
 どの人物の章にも、博士の師匠・北野武の影がよぎる。弟子として「一生」を捧げる、腐朽にして一本柱の時間軸があるからこそ、「一期一会」の意味が高まるのかもしれない。畢生の名著でした。

藝人たちの“業”を炎り出す 迫真のルポエッセイ集

By.宮 昌太朗

『ダ・ヴィンチ』2013年2月号より

​ お笑いコンビ・浅草キッドとしての活動はもとより、タレント本50冊を切って切って切りまくった『本業』、自らの体を実験台に、世に溢れる健康法を実体験した『博士の異常な健康』など、その凄まじい内容から「ルポライター芸人」の名をほしいままにする水道橋博士。
『藝人春秋』は、そんな彼の本拠地ともいえる芸能界――華麗かつ情と業が渦巻く奇妙な世界と、そこに住まう“藝人”たちの生態に迫った最新ルポエッセイだ。 
 本書で取り上げられるのは、たけし軍団の兄弟子でもある元宮崎県知事のそのまんま東(東国原英夫)、「ホリエモン」こと堀江貴文から今ではすっかりお茶の間の顔として定着したテレビプロデューサーの テリー伊藤、そして昭和を代表するコメディアンのひとり、ポール牧……。
 博士自身、が個人的にもつきあいがあり、またテレビでの共演歴もある彼らの姿が、軽妙な筆致で描き出されていく。 
 中学生時代の同級生でもある、甲本ヒロトとの交流を温かなタッチで描いたかと思えば、当時世間を騒がせていた“いじめ問題”に舌鋒鋭く斬り込み、かと思えば、師匠・ビートたけしと大才・松本人志の“藝”を、芸人ならではの切り目で活写する。対象から対象へ、自在に飛びまわるその語り口は、メインフィールドである、“お笑い”を題材にしているせいだろうか、滑らかでありつつも、骨太だ。 
 その白眉といえるのが、本書の最後に収められた「稲川淳二」をめぐる一文。とあるバラエティ番組の収録のため、怪談の名手・稲川淳二の過去を調べることになった博士は、番組から提供された資料を読み込み、その奇妙な生涯を追いかけるうちに、稲川淳二という存在の、最も深い部分に踏み込んでいく……。自身と稲川とのエピソードを挟みながら、描き出される「稲川淳二」の姿。それは、私たちが普段、慣れ親しんでいる稲川像と――微妙に重なりながらも、思ってもみなかった表情を見せることになる。 
 ときに相手を上手く乗せ、またあるときは鋭くツッコみながら、徹底的に相手と膝を交える。そうした先に出現する藝人としての業、深み。まさにルポ芸人・水道橋博士の本領を、思うがままに堪能できる、そんな一冊だ。

小娘物語。

By.酒井若菜

『オフィシャルブログ・ネオン堂』2013年1月1日よりより

 博士さんは、怖かった。
 
 10年以上前、私は石原慎太郎さん、テリー伊藤さん、松村邦洋さん、そして浅草キッドさんと一緒にレギュラー番組に出演させていただいていた。

 テレビ番組出演経験の少ない当時二十歳そこそこの小娘にとって、大人の男性に囲まれ、またその中で意見するという状況は、臆病者の私を怯ませた。唯一の女で、唯一の新人。自分のプロじゃない匂いを自分で感じとっていた。
 今考えればあんなに居やすい環境はないという位皆さん優しくしてくださったにも関わらず。
 そんな中、ただ一人、最初から最後まで「話さなかった」ではなく「話せなかった」かたがいた。
 それが博士さんだった。
 全部見透かされているような「プロ」の目が怖かったのだと思う。
 何も言われないこと、怒られないことが妙に怖かった。
 初めて出会った怖い芸能人だった。

 ある日の収録でのこと。
 いつもと違うスタジオだったので、当時マネージャーやスタイリストがついていなかった私は、初めて入る簡易的な控え室の中で一人過ごしていた。
 控え室の外から男性二人の話し声が聞こえてきたのは収録が始まる15分ほど前だった。
「なんだよあのCM。『忙しくて~』だって」「どこが忙しいんだよな。見栄はってんじゃねえよな」
 それは、当時私が酒井若菜役で出演していたCMの話だった。
 薄い壁一枚を隔てた向こう側で繰り広げられる悪口と嘲笑。
会話が終わるまで、私はまるで自分がそこに存在しないかのように、物音を立てないようジッと椅子に座っていた。
 アイドル然としたパステルカラーのスカートを履いていることや、ピンクのチークを頬っぺたに入れている自分の姿に一抹の恥ずかしさを覚えたことをよく憶えている。
 会話が終わった頃を見計らって、当時異常に暗く大人しかった私が控え室の外に出たのは「全部聞いてた。私だってちゃんと生きてる」と大げさな主張を胸に、悪意にぶつかろうと思ったからだろう。
 近くにいたスタッフさんに「今、ここで話してたの誰ですか!」と語気を強めて聞くと「誰もいませんでしたよ」と答えが返ってきた。
 一瞬の戦闘モードも虚しく撃沈。怒りのやり場のなさに、却って悔しさでいっぱいになった。
 不戦敗もいいところだと怒りを飲み込んだ私はすごすごと控え室に戻ることにした。
 控え室のドアノブに手をかけた時、ふと隣の控え室が気になった。
 簡易的な控え室…。
 そこで思考をとめれば良かった。
 この筒抜け具合、声の主が廊下ではなく隣の部屋にいたとしてもおかしくない。
 その考えが、全ての間違いだった。
 物音一つ聞こえないその部屋のドアに貼られた紙。

 その貼り紙には「水道橋博士様」と書かれていた。

 そして収録。
 スタジオに全員集合。博士さんの前を通り過ぎようとすると、「あ、若菜ちゃん」と呼び止められた。
 それまで博士さんから話しかけられるなんてことは一度もなかった。
 「はい」と返事をした私に博士さんが発したまさかの一言。
 「あのCMいいよね」
 博士さんが続けておっしゃった「あの『忙しくて』っていうやつ」という言葉に、確信した。
 からかわれている。と。
 泣くのはごめんだ。「本当ですか?」と何食わぬ顔で聞き返す。
 「うん。俺好き」
 この瞬間、私はやり場のない怒りを、迷うことなく博士さんになすりつけた。

 そのうち私もレギュラーを卒業した。
 それから10年以上経った今まで、博士さんとは一度もお会いしていない。

 2009年。
 番組を卒業してからもう何年も経った。
 私はこのブログに『心がおぼつかない夜に』というテリーさんについて書いた記事をアップした。
 同時期、知人から「水道橋博士さんがブログとtwitterであの記事のこと褒めてくれてるよ」と聞かされた。検索してみたら、確かに事実だった。
 なすりつけの上塗り。
 またからかわれていると思ってしまった。
 そんな時、ある先輩と電話で話をする機会があった。
日頃から何でも「そうかそうか」と肯定的に聞いてくれるその先輩の職業はお笑い芸人。
 私より10歳以上年上だけど、博士さんよりはずっと後輩にあたるかた。
 積年の思いを話すと、先輩は初めて感情的な口調で私を怒った。
 「あのさ、控え室の外の声、お前の控え室に丸聞こえだったんだよな」
 「うん」
 「てことは隣の控え室だった博士さんの控え室にも、丸聞こえだよな」
 人に言われて初めて我に返ってハッとした。
 これだけで、自分の間違いに気づいた。
 でも幼稚な私は認められなかった。
 数年前に自作自演のパラレルワールドで悲劇のヒロインを演じた以上、私は今更現実のみっともない自分に戻るわけにはいかなかった。ただの意固地。なのに、言い訳一つ出てきやしない。先輩は続ける。
 「普段大人しいお前がさ、控え室から出てって『誰ですか!』って怒ってるのも、博士さんに聞こえてるよな」
 私は何も答えられない。
 「あのな、本番直前のスタジオってな、スタッフみんな出演者の声聞こえてるんだよ。そんなの博士さんなら当たり前に分かってることなんだよ。スタッフ全員いる 所でわざわざその話題を出してくれて、自分はそのCMいいと思ってるって言ってくれたんだよ。そんなありがたいことあるかよ!何でわかんないんだよ!」
 「だって」
 「キッドさん二人がどれだけ妬まれて、どれだけいじめられてきたかなんて、芸人ならみんっな知ってるよ!痛みを知ってる博士さんがさ、二十歳の子供捕まえてチク チクやるかよ。かわいそうねよしよしなんて人前でやるかよ。優しさってさ、押し付けるもんじゃないんだよ。たけしさんの側で生きてきた人が、そんな無粋な ことするか!よく考えな!」

 2012年。
『心がおぼつかない夜に』というタイトルでブログ本を出すことになった。帯を書いて欲しいかたを編集者に聞かれた私は、候補リストを10人程紙に書いて渡した。
 その時「あと、水道橋博士さんも…」と口をついて出た。
 多分私は、この時点で、博士さん以外に依頼する気はなかったのだと思う。
 編集者に「接点はあるんですか?」と聞かれた私は「いや、あの、ほら、博士さんって、芸能界で帯文の依頼が最も多いかたでしょ。で、なかなか引き受けていただけないって聞くし、だから、その、ほら、だめだと思うし…」としどろもどろもいいとこ。
 マニキュアも、何度も重ね塗りすると、ある日カパッと剥がれて自爪が剥き出しになる。
 上塗りし続けていた私の「なすりつけ」が、この瞬間にカパッと剥がれてしまった。
 「もし博士さんに引き受けていただけたら、その時点で私の一つのエピソードが終わるんです。そしたら、この本の最後の章で博士さんのことを書きたいんです」と正直に話した。
 とは言え、私の稚拙な表現力に力を貸してくださるわけがないという保険を自分にかけることができる位、博士さんが大きな存在だったのもまた正直なところだった。
 博士さんにゲラ前の原稿をお送りすると、間もなく返事が届いた。
 結果は、まさかのOKだった。

 数日後。
 編集者からメールが届いた。そこには、博士さんが書いてくださった「くよくよしたって始まる!」という言葉。
 読者の前に私自身に刺さってしまった。プロの洗礼を浴びたような名帯文に、ズバッとやられた。
 そして猛烈に嬉しかった。
 そして、私自身の過去の失態を、いよいよ死ぬほど恥ずかしく思った。

 そして、私の本は、
 「くよくよしたって始まる!ー水道橋博士」
 という一張羅を着て、読者の元にお嫁に行った。


 レギュラーをご一緒させていただいていたあの頃から10年以上の月日の中で、私は怖いもの知らずになってひどい天狗になったり、天狗の鼻を折られ休業したり、復帰後に業界特有の所謂手のひら返しにあったり、芸能界をやめたり、色々経験した。

 そして。
 2012年。12月。
 私は某ドラマの撮影をしていた。撮影も終盤に入ったある日のこと。
 役 としての鬱積に加え、撮影スタイルがかなり独特だったこともあり、私はひどく苛立っていた。その苛立ちが次第にスタッフにも伝わり、気づけばスタッフに話 しかけられる言葉のほとんどが「酒井さん、すいません」になってしまった。女優なんて、裸の女王様だ。年を重ねるたびに裸なこと、裸を指摘されないことへ の羞恥心は高まる。そこで女王様にちゃんとなりきれるのが主演女優。時々ならいいけれど「主演女優」だけを演じていくのは私には難しいし、女王様になりき れないことが女優として情けなかった。
 車の中で、撮影に入って初めて、少しの間休憩を取ることができた。
 休憩の後に待っているのは逮捕シーン。役とて心は重くなる。自分自身とシンクロさせたら、それはまるでなりすまし女王様の転落。滑稽だと思った。
 そんな私を見たマネージャーから包みを手渡された。

 包みを開けると、クランクアップしたらご褒美に買おうと思っていた『藝人春秋』が顔を出した。
 マネージャーは「博士さんからです。嬉しいですね」と言って車を降りた。

 表紙の博士さんの顔を、どれくらい眺めていただろう。

 私は、ああ私は今きっと、この博士さんと同じ顔をしている、と思った。
 後に分かることだけれど、博士さんは本の中で芸能界を「あの世」と表現されている。
 私は芸人ではないけれど、それでもあの世に来ることを選んだ一人だ。
 表紙を見ながら、あの世で生きていけるか、今一度自分に聞いてみた。

 さて。どうして博士さんについて書いた文章を「心がおぼつかない夜に」の最後に入れなかったか。
 表題作にもなっているテリーさんについて書いた記事。実は私はあの記事を書いたことを後悔していた。というか書いていいのか分からなかった。想像以上にネットで話題になってしまって、戸惑ってしまった。勝手に書いてはみたものの、それが目上のかたに対する敬いとして果たして成立しているのか。分からなかった。
 敢えて書く必要があったのかはいまだに分からないが、それ以降私は、プライベートで付き合いのない芸能人のことを書く時は「本」というきっかけがある時のみ、とルールを設けた。
 博士さんから藝人春秋が届いたこのタイミングを逃したら、多分この先永遠に小娘物語は書けないと思った。
 更に、藝人春秋の中に、博士さんがいじめの世界に飛び込んだエピソードが書かれていたことも大きい。芸人さんの中では知られていても、そこに触れるのはタブーなのかと思っていたから。
 それからもう一つ。稲川淳二さんの章を読んだことが何より大きかった。その章を本に入れるかどうか、博士さんが悩んでいらしたというくだりを読んで、私の目には「文章に起こす」という行為そのものが、圧倒的な敬意なのだと映った。
 そう感じたから、私も博士さんの章を本に入れることこそ間に合わなかったものの、一度文章に書き起こすということで敬意を払いたかった。
 好きじゃないと、人のことなんて書けない。
 博士さんにしてみれば、知らない所で怖がられて、誤解されて、好かれて、一体なんなんだ、という感じだろう。私の自己満足感、丸出し。
 またテリーさんの記事を書いた時のように後悔しそうな気もするけれど、でもそれはそれで、ね。
 話を戻す。

 

 車内で藝人春秋の表紙を長い時間見続けた後のこと。 
表紙を開くと、そこには博士さんからの直筆のお手紙が挟まっていた。
 藝人春秋を書いた経緯、思いが丁寧に綴られていた。 
 そして、私の本の帯文になぞらえた言葉には、その温度に諸々が溶かされていくのを感じた。 
 現場で「酒井さん、すいません」と言われ続けている私の元にやってきた「若菜ちゃん」という博士さんの文字に、ひどく安心した。 
 そして過ぎた年月を感じた。 
 10年以上経って初めて涙が落ちたのは、自分の間違い、真実をやっと受け入れたからだろう。 
 博士さんになすりつけるために、私は記憶を封印していた。 
 収録中、自分からなかなか喋れない私は、意見したい時に何故かいちいち挙手していたのだが、そのたび博士さんが「はい、若菜ちゃん」と先生が生徒を指すような感じで呼んでくれて、そのたび少しだけ調子にのれたこと。 
 泊まりロケの時に39度の熱が出ていた私に、帰り際「若菜ちゃん」と後ろから大きな声で呼び止め、振り向く私に「お疲れさま」と、やっぱり優しさを押し付けない感じで労ってくれて、ふらーっと踵を返して帰っていかれたこと。 
 「若菜ちゃん」の文字を見たら、色んなことを思い出した。 
 何だか随分子供じみたことばかり書いているけれど、もう諦めた。 
 どうしたって私は、博士さんとの関わりの中では小娘なのだ。 
 女王様になりきれない私が小娘になれる喜びは、過去の縁からしか得られない尊いもの。 
 私が二十歳の頃から博士さんの周りをちょこちょこ走り回っては間接的にすれ違おうとするのは、きっと小娘になりたいからなんだ、と今更気づいた。 

 さてまた話は飛ぶ。私は歴女と呼ばれていたが、自称「司馬女」だ。最初は龍馬かっこいい!松蔭先生かっこいい!だったのだが、そのうち知識人や策士、今でいうジャーナリストやルポライターのようなことをしていた人物を書く司馬遼太郎こそが、知識人で策士でジャーナリストでルポライターで、そのことに気づいた瞬間から、なんなんだこの人は!と偉人よりも司馬さんのファンになってしまった。 
 博士さんの、人に対する敬いの徹底っぷりは、司馬さんのそれとよく似ているようにお見受けする。ただ、博士さん然り司馬さん然り、そんなことを言ってもちっとも琴線に触れないだろう。登場人物の魅力を伝えることが、恐らく全てなのだと思うから。 藝人春秋は、奇天烈さなり優しさなり自信なり、何かしらが突き抜けているかたたちが続々登場する。その異なる人物全てに惜しみない愛が注がれている。

 


 全ての本は、愛そのものでできているのかもしれない。 けれど、藝人春秋はあまりにも愛の純度が高い。 

 子供の頃、風船からうっかり手を放してしまって、飛んでゆく風船を見ながら泣いたことはないだろうか。 
 一度放した風船は、二度と帰ってこない。 
 藝人春秋が私の元にやってきた時、私は迂闊に手放した風船をもう一度手に入れた。 
 風船を手にした私は、やっぱりどうしたって小娘になる。 
 そして小娘は、小娘なりの文章で、ごめんなさいとありがとうと好きを精一杯自分勝手に伝えようとしている。 
 レギュラー時代から本の帯に至るまで、私の言葉の下手さに力を貸してくれた博士さんへ、藝人春秋の感想で恩返ししようと思ったのに、無理だった…。 
 どうやら、博士さんは私にとって永遠に越えられない壁らしい。 

 自分の心の中にある後悔や懺悔だけではない。 
 人との関係だってそう。 
 例えば私のように、間接的だったとしても。 
 いや、本ほど直接的なものはないか。 
 レギュラーを降りてからの10年以上、私は博士さんと「言葉」の中でだけすれ違ってきた。 
 そして「藝人春秋」のおかげで、あの世も、あの世の先輩も、好きになった。 

 長い年月を経て初めて生まれる「好き」を、これから大切にしていこうと思う。

 自分にした絶望も、人にした失望も。 

 終わりなんてない。 

 つまりはきっと、こういうことだろう。 

 くよくよしたって始まる! 

 ごきげんよう

一年

By.東国原英夫

『そのまんま日記』2012年12月31日より

 年末、小野(水道橋博士)から一冊の本『芸人春秋』(著書表題の「芸」は本来旧漢字なのだが、変換で出ないので、当用漢字の「芸」とした)が贈られて来た。

 

 特段、読むつもりはなかった(因みに、この数年、散文や小説の類は一切読んだことが無い。新聞雑誌の類や関係資料、専門書等しか読まない。理由は、時間が無いからだ)。

 

 が、ある番組(お台場政経塾)で千原ジュニア氏に「東さん、博士の『芸人春秋』を読みましたか? 東さんの部分に 感動しました」と言われ、また、年末にとある番組(平成教育委員会)で、小野に会ったときに、「『芸人春秋』読んで頂けましたか?」と聞かれたので、仕方 なく読んだ(笑)。

 

 一言でいうと、彼独特の視点と人生観と哲学が垣間見え、面白かった。他者の考え方を知ることは大抵、面白い。政治の世界にいると、特に、様々な考え方や価値観を持つ人に出会う。それはそれで面倒くさいこともあるが、大方、興味深い。

 

『芸人春秋』の中で、僕に関する記述は、2001年に書かれた文章だった。

 

 文中で小野が「ボクには、東さんが俯瞰の位置から自分の内包するドラマを冷徹に眺め文章に綴る人だとは、長年、思えなかったので意外でもあった」と書いている。

 

 小野に言っておく。「俺ほど、自分の中の狂気と冷静・常識、異常と正常を使い分け、その振り子を客観的に観察・傍 観し、かつそれらを楽しんでいる人間はいないと思うぞ(それこそがタケシイズム)。ただ、最近、その振り子に疲れて来たきらいはあるが(笑)。平凡や平板 や普通も疲れるが、小野の言う「物語を強要され、佇まいを覗かれる」或いは「ドラマを内包しながら、野望を秘めて度を超えたドラマを実生活に作り上げる」 のも疲れるものだ(笑)」

 

 もう一つ、「東さんは、『ビートたけし殺人事件』を書く事で象徴的な父である師匠を殺す事ができていた」「エディプスコンプレックス」・・・・これは、俺が吐露したっけ? もし、小野が独自でそう考えたのなら、「当たり」である。

 

 自分の姿を、ある人物を通して、客観的に述べられると新たなチャンネルが自らの中に創設され、かなり有意義であることは確かである。それは経験則でそう言える。

 

 いずれにしろ、小野の文章は、僕に心地よい「刺激」を与えてくれた。それは、20数年前から僕が宣言している 「『小説たけし学校』を人生の終末期に書き記したい。それを書くために僕は人生を生きているといっても過言ではない。振り子の原理で・・・・」を実現・実 践しようというモチベーションを上げるための「刺激」である。小野に礼を言う。

境界領域に立つ者のドキュメント――水道橋博士『藝人春秋』(文藝春秋)を読んで

By.矢野 利裕

『ヤノ・オン・ウェブ』2012年12月26日より

 話題の水道橋博士『藝人春秋』(文藝春秋)が、評判に違わず面白かった。「芸人というより、芸能界を潜入取材している感覚」としばしば語る、博士随一のル ポルタージュとしてももちろん面白いが、「藝」のありかたについて、鋭く迫っている点が、僕自身が最近考えたいことともかかわっており、たいへん興味深く 読んだ。自分の頭の整理もかねて、『藝人春秋』について書きたい。



こんな言葉から。

日本の芸能史は、賤民の芸能史である。/この日本に現在ある諸芸能――能、狂言、歌舞伎、文楽から、漫才、浪花節、曲芸にいたるまで、それらをすべ て生み出し、磨きあげて来たのは、貴族でも武士でも、学者、文化人のたぐいでもなく、つねに日本の体制から外にはみ出されていた、賤民といわれるような人 びとの力であった。(小沢昭一『私は河原乞食・考』三一書房 1969.9)

これを書いた小沢昭一が、先日亡くなった。記録に残らない日本の放浪芸をドキュメントし続けた小沢が死を迎え、一方テレビのバラエティ番組では、ワイプ画 面を意識した空気の読み合いがおこなわれている(別に悪いとは思わない)。小沢の死はわかりやすく、「河原乞食」としての芸人の死を象徴しているかのよう である。現在の芸人と言えば、むしろみんなの憧れであり、たいへんな社会の成功者だが、芸人とは本来的に、小沢が言うように「河原乞食」として社会の周縁 に追いやられた存在だったはずである。社会に生きられない存在だからこそ、日常から逸脱した言動で人々を笑わすのだ。したがって芸人は、見ている人の日常 とは異なる、非日常の体現者として出現し、日常と非日常をつなぐ存在として生きている。日常/非日常、社会/非社会、此岸/彼岸など、あらゆる〈あちら側 /こちら側〉の境界領域に、不気味に存在しているのが芸人なのだ。芸人の「芸」の字は、文芸の「芸」でもあり、あらゆる芸術の「芸」でもある。この「芸」 意識を持って物語を紡いでいるのは、意外にも村上春樹だったりする。

物語というのはある意味では、この世のものではないんだ。本当の物語にはこっち側とあっち側を結びつけるための、呪術的な洗礼が必要とされる。(村上春樹『スプートニクの恋人』)

『藝人春秋』において水道橋博士は、「名もなく過ごす平凡で安全な日々とは違いテレビに出ることを生業とする芸人は日常から隔絶されている」(p.6)と 言うように、当然のことながら「河原乞食」的な芸人を意識している。河原に住むホームレスを取材した坂口恭平の思想が水道橋博士を魅了するのも、おそらく このような「芸」意識に大きくかかわっている。もちろん水道橋博士自身が、かつて自分が生きていた日常や社会を捨てて、名もなき存在として浅草に生きた芸 人である。したがって、『藝人春秋』において「藝人」として書かれている人たちは、いわゆる職業的な「お笑い芸人」ではなく、「日常から隔絶されている」 存在を指す。もっと言えば、〈こちら側/あちら側〉の境界領域にいて、〈あちら側〉へ来いと手招きする存在こそが「藝人」である。だから水道橋博士にとっ てはラジオの向こうから手招きするビートたけしが、甲本ヒロトにとっては同じようにビートルズが、他でもない「藝人」として出現しているのである (p.34)。『藝人春秋』とは、そういう「藝人」の記述なのだ。この点を見誤ってはいけないと、僕は思う。ただのルポルタージュではないのだ。その底辺 には、「藝人」という思想が横たわっている。

「藝人」はさまざまな境界領域に出現する。近代社会は……なんていう話を展開しても仕方ないが、あらゆる場所に線引きをして秩序化することで成立している のが社会というものである。その境界線を隙間をぬって、やすやすと境界線を侵犯したり、ふたつの領域をまたがったりするのが「藝人」である。必然「藝人」 は、秩序をなきものとする異形なものとして映らざるをえない。招かれた先である浅草の住人(石倉三郎)。NHKという場所にあるまじき胸板の厚さ(草野 仁)。あちら側の出来事をこちら側に伝える過剰な語り部(古館伊知郎)。先輩/後輩という区分をなきものにする、ありえないほど越境する交友関係(三叉叉 三)。牢獄という典型的な閉じ込めのなかで、悠然と一億円を稼ぐ越境者(堀江貴文)。「売ります/買います」をめぐる境界線の闘争(湯浅卓・苫米地英 人)。放送コードの境界領域で企画を出し続ける作家(テリー伊藤)。異形の股間(ポール牧)。つまらない秩序の爆笑問題化(「爆笑“いじめ”問題」)。線 で引かれた秩序の隙間に存在し、境界線を越境し、またがり、そうやって秩序を撹乱する存在として「藝人」は存在し、『藝人春秋』はそういう存在のドキュメ ントとして読むことができる。だとすれば、「僕が一番だと思っている」(p.283)という松本人志の発言とは、かつてビートたけしがおこなったのと同様 の「王の殺害」なのかもしれない。王とは秩序を統べる者である。そして、「人々は、そのような共同体を統べる王の更新、あるいは共同体そのものが生まれ変 わる瞬間を、「祝祭」として位置づけていた」(安藤礼二「祝祭」『文学界』2011.6)。伝統社会における「祝祭」とは言うまでもなく、一年に一回出現 する非日常と日常が交歓する場であり、そこでは日常で生きられなかった「藝人」が唯一生きられる空間である。松本が起こした「祝祭」によって、現在の芸人 も生きている。この「祝祭」モデルから考えると、そのまんま東の「父親探し」とは、「父」(=王)を殺害することで、これまで自分が身を置いていた秩序を 飛び出し、〈あちら側〉へ向かおうという試みの連続だったと言える。日常を支配する秩序の間隙に立つ存在こそが「藝人」であり、その空間こそが「藝人」が 生きる「祝祭」の空間である。

しかし、まだ終わらない。『藝人春秋』が圧巻なのは、その「藝人」の〈グロテスク〉(と見なされる)な性格を抽出している点にある。終盤では、ある障害児 の存在が中心化される。正常/異常の境界領域に立つ障害者こそは、「藝人」の姿に、残酷なまでにふさわしい。不謹慎だろうか。そうかもしれないが、やはり それが「藝人」という存在なのだとしか言いようがない。江戸川乱歩の小説において、しばしば畸形児が見世物にされるように、異形な存在こそが「藝人」と呼 ぶにふさわしいのである。しかし、異形な存在こそは、一方でつまらない秩序を揺るがし、新しい秩序を生み出す力を持っている。異形な「藝人」こそが、障害 者の問題を〈こちら側〉たる社会に突きつける。男/女の境界領域に存在するセクシャル・マイノリティこそが、性の問題を〈こちら側〉たる社会に突きつけ る。これはやはり、〈こちら側/あちら側〉の境界領域にいて、〈あちら側〉へ来いと手招きする「藝」の運動とまったく同じなのだ。「政治(まつりごと)」 は、この地点で「藝」とかかわりを持つことになる。そして、その障害児の父親とは「あの世とこの世を行き来する死者との随伴エピソード」(p.295)を 持つ者なのだ。僕らが知っているあの父親は、まさに「あの世とこの世」の境界領域に立つ語り部として、「藝」をおこなっている。この父親は、「笑いの仕 事」をやめて、「今は怪談のほか、バリアフリーの講演とか、街頭や駅で障害者に対する理解を訴えたり、応援したりしてい」(p.310)るということだ が、たとえテレビでの「お笑いの仕事」から身を引いたとしても、おこなっていることは真っ当な「藝」に他ならないのである。

そして、児玉清。すでに〈あちら側〉に逝った児玉に対する水道橋博士の言葉は、もう野暮な説明はいらないくらい美しい。〈こちら側/あちら側〉の境界領域 に立つ「藝人」の児玉清に対して、水道橋博士は次のような言葉を送っている(ネットではこの部分を「ネタバレ」と呼んでいるので、そういうのが嫌な方はぜ ひ本文で)。

あの世の映画やドラマの中で名優であり続けただけでなく、この世の数多の本の世界へ誘い、自らが物語のような結末を閉じた児玉清さんに、この本を切り絵とともに捧げます。(p.324)

あ、あと一人。甲本ヒロトという「藝人」に出会ってしまったがために、〈あちら側〉へ連れて行かれてしまった水道橋博士のマネージャー・スズキ秘書は、 「生来の無毛症」(p.31)とのことだが、そのスズキ秘書は「もし自分に毛が生えていたら、きっとごく普通にサラリーマンになっていたと思います」 (p.233)と語る。二週目に読むと、この言葉は本当に感動的に響く。坊主というのは、やはりあの世とこの世の媒介者である僧侶が、自らの異形性のしる しとしてこしらえるものでもある。その異形性を生まれながらにして背負ってしまい、それゆえに日常から逸脱したスズキ秘書もまた、目次にこそ登場しないが 「藝人」として生きている。例えば琵琶法師の異形性とは「無毛」と「盲」だが、兵藤裕巳によれば、「非秩序=穢れの体現者は、原初の創造的なカオスを創出 したアナーキーな力を体現する者として、祭儀においてしばしば聖なる呪力を行使することになる」(兵藤裕巳『琵琶法師――〈異界〉を語る人々』岩波新書  2009.4)。スズキ秘書が憧れている甲本ヒロトは、「俺の理想はアナーキー」(p.244)と語るが、スズキ秘書を「ごく普通のサラリーマン」から遠 ざけた異形性はすでに、ヒロトが憧れた「アナーキーな力」に満ちている。不謹慎だろうか。そうかもしれない。でもやはり、それが「藝人」という存在であ り、『藝人春秋』という本は、そういう「藝人」の姿を描ききっているからこそ感銘を受ける。ならばここで、その不謹慎さは隠したくはないのだ。〈あちら側 /こちた側〉の境界に立つ者としての「藝人」。安藤礼二の言葉をもう一度引用する。

柳田國男が創出し、折口信夫が発展させた「民俗学」という学問もまた、人間の集団が生きなければならない時間を大きく二つに分ける。日常の生活が営 まれる「ケ」(褻)の時間と、非日常の祝祭が行われる「ハレ」(晴)の時間である。物語(文学)も芸能(芸術)も、二つの相反する時間が交わる「境界」の 場所から発生してくる。(安藤礼二「表現のゼロ地点へ――三島由紀夫、大江健三郎、村上春樹と神秘哲学」『文学界』2012.7)

日常の秩序には存在しえなかった新しい表現が生まれてくる空間としての「祝祭」。そして、その体現者である「藝人」。『藝人春秋』は、そのような「藝人」 のありかたに鋭く迫っている。書名に、「芸」ではなく旧字の「藝」が使われているのは、もちろん本家『文藝春秋』に倣ってのことなのだろうが、水道橋博士 が意図したか意図していないかとは別の水準で、言葉というのは問答無用に意味を抱えている。佐々木中が説明している。

藝の字と芸の字は意味が逆なのですね。藝は、草木を植えるという意味である。芸は、草を刈る、雑草を刈るという意味です。(佐々木中『切り取れ、あの祈る手を』河出書房新社 2010.10)

新しい表現を生み出す存在としては、やはり「芸人」ではなく「藝人」がふさわしい。地下/地上の境界領域に草木を植えられているように、「藝」はあらゆる境界領域から顔をのぞかせている。



ひるがえって自分。僕は高校の教員として、学校という〈こちら側〉的秩序の再生産側にいる。伊吹文部科学大臣(当時)の言葉は、「“言霊”の無さは何とい うことだろう」(p.253)と評価されているが、その末端にいるのが我々というわけである。そして、教室には「お笑い」の文法がせっせと持ち込まれてい る。「藝」のロマンを共有する僕は、いかにして〈こちら側/あちら側〉を撹乱する言葉を持つべきか。そんなことをいつも考える。たんに秩序を破壊してし まっては、それはもはや教育者ではない。この「藝」のありかたこそを、再現可能、反復可能にし、なんとか秩序立てて教育するのだ。それが僕の矛盾した教育 目標である。非常勤講師という立場は、生徒にとってなにやらよくわからない存在らしい。担任も部活も持っていないし、どこに所属するのかがわからない不気 味な存在のようだ。この〈こちら側/あちら側〉を撹乱する非常勤講師という立場は、「藝」的な感覚として気に入っているが、一方で社会に生きなくてもいけ ないのが悩みどころだ。

波乱の人生を活写した“藝人”ストーリー!

『東京ウォーカー』2013年 No.2より

​ 芸能界で20年以上も活躍している水道橋博士が、芸人たちの人生を活写した渾身の一冊。「お笑い男の星座2」が大宅壮一ノンフィクション賞にノミネートされた筆者は、ルポライターとしても高い評価を受けている。 
 今作では、博士がこれまで出会った著名人たちの意外な一面を語る。“オヤジ”の愛に飢えてビートたけしに父親の姿を重ねるそのまんま東、怪談を始めたきっかけやお笑いをやめた理由を明かす稲川淳二などが登場する。それぞれの暗い過去や、芸人の原点になったエピソードを交えながら、芸能界で必死に生きてきた彼らの姿をつづっている。 
 なかでも見どころは、30代の博士が芸人としての転機を迎える、2人の天才のエピソードだ。天才の一人・松本人志がもう一人の天才・ビートたけしに対して「その壁を破れる」と言えば、博士の師匠でもあるたけしは、「まだ若い」と言い放つ。
 そこで博士は、2人の笑いに対する強烈な自負が、お笑い界のトップに君臨する彼らの才能だということに気付く。そして、師匠にあこがれていた博士は、目標にすることすら恐れ多いと悟り、自分の生きる道を探していく。 
 周りの芸人だけでなく、自身の人生もつづった今作。そんな“藝人”たちの小説のような物語に胸が熱くなるはず!

まるで魔界に送りこまれたルポライターのよう

By.長薗安浩

『週刊朝日』2013年1月 新春合併号より

​ 水道橋博士をテレビで初めて見たのは、もう20余年ほど前になるだろうか。その頃から今にいたるまで、博士は芸人らしからぬ雰囲気を放っていると感じてきた。漫才をやっても、たけし軍団の一員として体をはっていても、司会をやっても、どこか醒めている。本人は否定するだろうが、私はそんな違和感を覚えながら注目してきた。 
 特に気になったのは、目だった。小柄な体にぴったりの童顔にあるその目は、いつも何かを観察しているようだ。この『藝人春秋』に編まれた15人(そのまんま東、甲本ヒロト、石倉三郎、草野仁、古舘伊知郎、三又又三、堀江貴文、湯浅卓、苫米地英人、テリー伊藤、ポール牧、太田光、北野武、松本人志、稲川淳二)のルポエッセイでも、まずは博士の観察眼が力を発揮し、彼らのちょっとした表情の変化を的確にとらえる。そして、豊富な語彙とリズムに乗ったシャレを駆使して書かれた文章とあいまって、それぞれの芸人の過剰ぶりが痛々しいほど伝わってくる。 
 とはいえ、読後感はどれもほのかな暖気に包まれる。笑いをちりばめつつそれぞれの暗部に迫りながらも、そこに尊敬の念があるからだ。たとえ、三又のような不見識な後輩が対象であっても、彼の中にある「自分にはない過剰なもの」への畏怖を博士は忘れない。 
〈名もなく過ごす平凡で安全な日々〉を捨て、23歳のときに〈出家同然にたけしに弟子入り〉した博士は、50歳になった今もまだ、「自分にはない過剰なもの」に惹かれつづけているのだろう。その証拠に、博士はよく見てよく調べ、よく訊いてよく聴き、その上で、よく書いている。まるで、文芸の世界からテレビの裏側という魔界に送りこまれたルポライターのようだ。 
 テレビに映る博士に私が違和感を抱いた理由もこれではなかったか、と思う。いわば30年近くもの潜伏期間をかけて取材し、ついに報告されたこの本は、だから、哀しくなるほど面白い。 

水道橋博士「藝人春秋」について
By.秋元康

『Google+』2012年12月21日より

 水道橋博士から、「藝人春秋」(文藝春秋)という新刊を送って貰った。北野武、松本人志、爆笑問題…天才たちの生きざまを水道橋博士らしい切り口で描いている。古舘伊知郎、テリー伊藤、堀江貴文たちの“狂気”を近くで見ていた僕も、改めて「そうなんだよなあ」と思える部分がいっぱいあった。湯浅卓は、僕がニューヨークに住んでいる頃にお世話になったので懐かしかった。 
 この「藝人春秋」が面白いのは、水道橋博士の冷ややかな客観性にある。どんなに盛り上がっている状況であっても、水道橋博士だけは冷静だ。心の中でその様子を実況している。だからこそ、天才たちの狂気やカリスマ性に迎合することなく、“見物”できたのだろう。 
 いつだったか、水道橋博士に「天才 勝新太郎」(文春新書)を貰った。凄く面白かった。あれを、現代の天才たちに置き換え、水道橋博士本人の目撃証言で構成したんだから、面白くないわけがない。 
 新春番組で千原ジュニアと一緒になった時、この「藝人春秋」の話で盛り上がった。 
 水道橋博士の本はハズレがないなあ。

疲れて弱って刊行決意 巨星たちの生の物語
By.吉田豪

『AERA』2012年12月31日号より

 ルポライター芸人を自称して、芸能界への潜入取材を続けている浅草キッド・水道橋博士。
 その成果については大宅賞レベルの傑作ルポルタージュ『お笑い 男の星座』を読んで欲しいんだが、あの本のパート2が出たのが、もう約10年前。
 もともと人に迷惑をかけない犯罪でいかに世間をアッと言わせるかを考え続け、誰もやらない風俗体験取材を繰り返すようなブレーキの壊れた芸人を目指していたのが、変装免許証事件で謹慎し、結婚して子供も3人生まれ、健康本をヒットさせ、この10年で徐々に方向性が変わってきた。
 博士自身が「豪ちゃんの好きなスタイルではないと思うけど、褒め生かしておいて」というメッセージを添えて送ってきた今回の本は、生と死がテーマである。 
 なぜいま10年ほど前に書いた文章をまとめたのかは、稲川淳二の章の追記部分で謎が解けるようになっている。稲川淳二口調でごまかしてはいるが、間違いなく本音だ。 
「『藝人春秋』の単行本化の話ってもともと10年前からあるんですよ。なかなか進まなかったですね」 
「ワタシもね、ちょうど50歳になる直前で、男の更年期ってやつですかね。弱ってましてね。ずっと大震災だとか、原発事故なんてこともあってね、自分も“原発芸人”って非難されたりしてね、疲れちゃって、もういいやって。50の区切りで、いっそ、お笑いを『引退』なんてことを考えてましてね、家族で海外移住しようって」 
 それが、『博士の異常な健康』なんて本を出していたのに大病をして不健康になったこともあってか、50歳を過ぎて何か吹っ切れたように、それまで接点のなかった人たちと飲み歩き、さらなる潜入取材をスタートさせた博士。 
 この本に出てくるのは10年前に博士が興味を持っていた面々であり、いまならここに町山智浩、樋口毅宏、坂口恭平、岡村靖幸、松尾スズキ、リリー・フランキーといった辺りが加わるはずなので、現在進行形のサブカルスーパースター春秋的な次回作がボクは早く読みたい。 

深海魚たち
By.中野翠

『サンデー毎日』12月30日号より

​ 浅草キッドの水道橋博士の『藝人春秋』(文藝春秋)を面白く読んだ。 
 ぶあつい本なので一瞬たじろいだけれど、読み始めたら、ぐいぐいと引き込まれて行った。 
 水道橋博士もいつのまにか五十歳。芸能界に身を置くようになって 三十年近くなるという。その中で出会い、衝撃を受けた人たち――北野武をはじめ、そのまんま東、草野仁、古舘伊知郎、デリー伊藤、ポール牧、甲本ヒロトなど十数人の濃厚な人物像が活写されてゆく。 
 ほんとうに濃厚なのよ。タイトルに「芸人」ではなく「藝人」という字を使ったというのが納得できる。 
「深海魚の群れ」と言っていいくらい奇抜で特異な人たちなのよ。 
 水道橋博士は笑芸人だから、隙さえあれば笑わせたいというサービス精神を持っているのだけれど、この本はそういうこまかいクスグリでもたせた本ではない。生真面目に相手とガップリ四つに組んで、相手の凄みや哀しみやおかしみを描き出している。 
 私がその奇人ぶりに圧倒されたのは、笑芸人ではないけれどテレビ出演もしていた「国際弁護士」湯浅卓と「国際的博士」?苫米地英人の二大ビッグマウスの章だ。 
 湯浅氏は、一九八九年、バブル絶頂期、三菱地所がNYのロックフェラーセンターを約二二〇〇億円で買収した際、ロックフェラー側の弁護士として活躍したという。 
 いっぽう苫米地氏は当時イェール大学の大学院で勉強していたのだが、三菱の社員でもあり、また以前からロックフェラー家とは懇意だったので、ロックフェラーセンターを買う側として交渉に参加していたという。 
 つまり、湯浅氏はロックフェラーセンターを売る側の、苫米地氏は買う側の黒幕だったというのだ。 
 とにかく二人のビッグマウスぶりが凄い。「ワタシがウォール街を選 んだのではない。ウォール街がYUASAを選んだのです!」(湯浅氏)とか、「(渡米していた少年時代、飛び級で)中2になるはずが高3になってたんだ」(苫米地氏)とか。 
 全然根拠のないホラ話とは違うらしいところが、おそろしい。 
 とにかくこの二人の自慢話はケタはずれで、感心するより先に笑いがこみあげてくる。私はテレビで見て、その風貌は知っていたけれど、そのトークをじっくり聞いたわけではないので、「こんな日本人もいるのか!」と驚いた。 
 終盤では「思春期をこじらせていた」自身の過去を振り返りつつこう書いている。 唯一の楽しみだった木曜深夜の『ビートたけしのオールナイトニッ ポン』でビートたけしのある一言を聞いて、「その瞬間、まるで幽体離脱したかのように意識が浮き上がり、気持ちの上で空が晴れ晴れと澄み渡り、すべての迷いが消えたようだった。そこからボクは、大学受験を口実に、ビートたけしのもとへ行くことに決めた」。 
 著者の全体重がかかっているかのような一冊。児玉清さんとの思い出をつづった「あとがき」にも胸打たれた。

水道橋博士の「藝人春秋」について
By.町山智浩

『町山智浩アメリカ日記』2012年12月13日より

​ 水道橋博士著『藝人春秋』、著者から「好評すぎるので、気になるところを指摘してほしい」と言われたので、徒然に感想を書かせてもらいます。 
『藝人春秋』は、水道橋博士が15人の人々の裏話を書いた本で、書名の元になった『文藝春秋』はもともと文壇のゴシップ雑誌だったから、単なるダジャレではない。  
 15人の内訳は、そのまんま東、石倉三郎、草野仁、古館伊知郎、三又又三、堀江貴史、湯浅卓、苫米地英人、テリー伊藤、ポール牧、甲本ヒロト、爆笑問題、稲川淳二、松本人志、北野武……って、芸人は7人しかいないじゃんか!
 では、この15人をくくる枠は何か、といえば、「過剰な人々」ということだろう。過剰ということでいえば、古館氏などを除いて、「無意識過剰」だ。
 その方向性には二種類あって、ひとつは「正直」「自分をさらけ出す」系で、東、テリー、ヒロトなどの人々。もうひとつは「ホラ吹き」「自分を飾る」系で、苫米地、湯浅、堀江など。しかし、どちらも無意識のうちに直観的にやっているので、傍から見ると無防備で、客観的に自分を観ることができていない。おっちょこちょいで、あぶなっかしいから、時に笑われる。
 彼らが理性的でないというわけではない。たとえば北野武の場合、有り余る理性を、内側の直感が乗り越えていく。それを「狂気」と言い換えてもいい。それは優れた芸術家の条件だ。「芸」に不可欠なものだ。
 そんな彼らを水道橋博士は常に理性の目で描いていく。散りばめられたダジャレや言葉遊びは非常に精緻で、二重三重の意味がかけられている。博士は誰よりも冷静に、過剰な人々を観察し、彼らの心理を分析して言語化する。
 しかし、読み進めていくうちに僕が感じたのは、狂気への憧れと渇望だった。
 文中で甲本ヒロトが『サボテン・ブラザーズ』のいいシーンを引用している。山賊に苦しめられているメキシコの農民が、西部劇でヒーローを演じる俳優トリオ(スティーヴ・マーティン、マーティン・ショート、チェビー・チェイス)を正義のガンマンたちだと思い込み、助けて欲しいと頼み込む。殺されちゃうよ、とマーティンとチェイスは逃げようとするが、ショートだけは残って村を助けようとする。そして地面に線を引く。
その線のこっち側は闘わずに安全な日常に戻ること。線の向こう側は、イチかバチかの闘いに身を投じること。ただ、線を越えれば、本物になれるかもしれない。
 その一線を無意識に越えてしまう人々は、優れた芸術家だったり冒険家だったり、英雄だったり天才だったり、犯罪者だったり狂人だったりカリスマだったりする。
 博士は理性の人だ。無意識に線を越えることはできない。しかし、線の内側で安穏とできるほど自分の心を閉ざしていない。だから、線を越える人々に魅かれ、線の上を綱渡りする。時に魅かれすぎて綱から落ちそうになったりもする。時に彼自身、「この線を越えなければ」という自意識によって「えいやあっ!」とジャンプすることもある。でも理性の足枷は常に繋がれている。
 博士ほど理性的ではないものの、僕は本当に小心者だから、やっぱり線の上でうろうろしている。僕の映画論は実は映画を通してそれを作る監督たちの狂気への憧れを語っているのだ。だから『藝人春秋』に限りなく共感する。
 自分は天才ではないから、直観ではなく意識的に自分のケツを叩いて、無理に線を越えるしかない。自分のいる場所からジャンプしなければ安全だが前進も上昇もない。線を越えて失敗することのほうが多いだろう。当たり前だ。ここから先は保証できないよ、という線なのだから。
 でも、自分のような小市民にも蛮勇をふるう必要がある瞬間は人生に何度か訪れる。
 その蛮勇をくれるのが酒やドラッグ、じゃなくて、僕にとっては映画やロックや永ちゃんや「過剰な人々」の物語なのだと思う。
 書いてるうちに『藝人春秋』と関係なくなってしまいました。ごめんなさい。。

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水道橋博士の「藝人春秋」について
By.伊賀大介

『ケトル』2012年12月号 Vol.10より

 や…やりやがった!!
 どこまでスクロールしても終わる気配がない(マジで)、メールマガジン『水道橋博士のメルマ旬報』を読みながら、ボクは、心のずっと奥のほう©the blue heartsが、ビリビリ着ているのを感じていた。 
 大人のコロコロコミックを標榜し、豪華13大連載!を引っさげ11月に発行されたばかりのこのメルマガ、一号目が12万字、二号目16万字!と兎に角尋常ではないボリュームである。勿論内容は言わずもがな最高。 
 五十歳になった大人が、十四歳の感性を持って働き、遊び、子を育て、様々な人に出会っていく様と、興味の行末をリアルタイムで読めるってんだからこれほど楽しいモンはない。職場や学校で朝から目がランランと輝いている奴がいたら、このキラーコンテンツに瞬殺ならぬ旬殺されたやつなんだろう。とにかく危険なブツである。 
 常日頃から浅草キッド・キッドを公言しているボクでも今年の博士の活動を追っかけるのが困難なほど「2012年の水道橋博士」はビンビンに精力的であった。ブレーキの壊れたダンプカーならぬ、スイッチの入ったハカセに怖いモノはない。 
 今を感じるのがメルマ旬報なら、水道橋星雲の歴史はこの『藝人春秋』で綴られる。元々はアプリから始まった壮大な実験が、生誕五十年を(自分で)記念する、渾身の一冊!となって刊行された。
 内容はいわば、お笑い男の星座・外伝とでも言うべき、コクとロマンとペーソスが溢れまくった逸品である!! 
 勿論、本クレイジーの博士の事、アプリで読んだからいいや、なんて口が裂けてもいえない印刷物ならではの“仕掛け”があちこちに散りばめられている。福井利佐さんによる見事な切り絵の装丁も、アッと驚く帯文の面子も、全ては繋がっているのだ。
 同級生・甲本ヒロトとの邂逅、古舘伊知郎や石倉三郎等の人生の先輩達とのイイ話、爆笑問題との因縁に絡めたイジメ問題、そして殿・ビートたけし論、そしてコレが一番書きたかったのでは?と思える、グッと来るあとがき。全ての今と過去が交差し、現在を作っていく。 
「出会いに照れるな」 
 とは、故・百瀬博教氏の言葉であり、現在の水道橋博士を動かす推進力になっている名フレーズである。 
 シャイな野郎共にとって、なんて勇気づけられる言葉なんだ!と自分にも言い聞かせていたのだが、遂にそれを自ら実践する日が来てしまった。なんと、スタイリングした人の対談相手が博士その人だったのである。声を掛けさせて貰うか、散々ウジウジしている内に滞り無く収録は終わった。
 出逢うには、まだ早かったか。そう思った瞬間、目の前の廊下を氏が通り過ぎた。何処からか「照れるな、俺!!」と、声がした。 
 氏は、とても優しかった。この人が好きで良かったな、と思った。その夜帰宅して子供のように第一声「俺!博士に会ったよ!!」と言ったら、嫁は「良かったね!」とニッコリ微笑んだ。
 まるで憧れのレスラーに会った中学生みたいだったのだろう。そう、浅草キッドはいつだって俺を十四歳にするのだ。

「知性派タレント」が明かす有名芸人たちの素顔
By.岡崎 武志

『夕刊フジ』2012年12月15日より

 文藝春秋から出る芸人エッセーが「藝人春秋」。やるもんだ、水道橋博士。博士といえは、長らく密室芸人みたいに危険な存在で、テレビではあまり見なかったが、このところは「知性派」タレントとしてラジオや雑誌も含め出ずっぱりだ。 
 そんな博士が、密かに観察し続けた芸人たちの素顔を、エピソード中心に紹介するのがこの本。登場するのは北野武、松本人志、爆笑問題など、それに草野仁や古舘伊知郎なども交じる。 
 巻頭は「そのまんま東(東国原英夫)」。執筆は2001年夏だから、まだ政界に打って出るとは夢にも思っていない。だから「東さんには、度を越えた大真面目と、度を越えた大馬鹿が合わせ鏡のように、そのまんま同居している」と書ける。淫行疑惑で謹慎後、早稲田大学を受験。「売名行為」のネタと東は批判されたが、本人は「大真面目」。勉強にいそしみ、「試験の時期になると同級生から『ノートを貸してくれませんか?』」と頼まれた。そんな芸人、いるか? 
 まだテレビに出る前、ディレクター時代のテリー伊藤との初対面エピソード。1990年代、テリーは「北朝鮮を演出してみたい」と言っていた。博士の書いた企画書に「漢字が多い」と難癖をつけ、文学部の悪い癖を直すため「明日からさあ、ホモになれ」と説教。めちゃくちゃだ。 
 また、「お笑い芸人のギャグが子供のいじめの原因をつくっている」と非難を浴びたことに対し、真っ向から反論してみせる。いじめ問題が語られる場所から笑いは生まれない。「しかし、そんな出口のない袋小路を突破するのも、お笑いだ」と最後にタンカを切ってみせる。拍手! 
 サラリーマンや公務員には実現できない、濃縮された生を見せるのが芸人だ。それを描く水道橋博士には、芸人としての背骨がちゃんと通っている。 

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にじみ出る人間味
By.樋口 卓治

『毎日新聞』2012年12月21日夕刊より

​ 局に入るのに入構証がいるようになった頃なのか、放送作家が手書きからワープロに切り替えた頃なのか、ディレクターがパソコンで編集するようになった頃なのか、いつの頃からかテレビから怪しい人が消えた。 
 その昔、テレビには怪しい人がたくさんいた。現金が詰まったアタッシェケースを持ち歩く社長や、豪邸をスタジオ代わりに提供してくれた顔の白い女社長や、不思議な映画を握り続ける映画評論家が活躍していた時代があった。本業ではそこそこ立派な人なのにバラエティーに出ると途端に怪しさを醸し出し、脇の甘いところから哀愁がこぼれ落ちていた。 
 そして、そんな怪しい人をいじらせたら天下一品の芸人がいる。浅草キッドである。水道橋博士と玉袋筋太郎の2人はこの怪しいを面白いに変換する名手だ。テレビの持つ不まじめな部分をまじめに引き出すのがとにかくうまいのである。 
 師匠ビートたけし譲りの手あかにまみれていない独自のアングルと豊富なボキャブラリーを巧みに操り、怪しい人たちをチャーミングに仕立てあげている。それのどこが面白いの?と言われればそれまでだが、僕はそのやりとりが視聴者として好きだった。 
 そんな水道橋博士が「藝人春秋」という本を出した。同じ時期に僕も小説を出し、なかなか人の本を手に取る余裕がなかったが、この本は別だった。すぐに巧みな文章に引き込まれ一気に読み終えてしまった。この本にも怪しい人がたくさん登場する。
 しかし、テレビのようにいじられるのではなく、小説の登場人物のように深い洞察で描かれている。解釈が文芸なのである。普段、画面からかすかに感じる人間 味が確かな文学の言葉でつづられている。 
 笑いと笑いの隙間から生き様や哀愁がにじみ出ている。そして、放送作家としてテレビに怪しい人は不可欠なのだと感じさせられた。バカにするのではなく、どんな人間も持っている人間味を引き出すことがオリジナリティーであることを再認識させられた。 
 それ以外にも、この本には生半可なラップよりも刺さるフレーズや、相手をリスペクトしなければ出くわさないエピソードが星くずのようにちりばめられている。 
 ある章で、あるミュージシャンが言っていた。あこがれのミュージシャンのギターをコピーするのではなく、あこがれの人の気持ちをコピーするとオリジナルができる。それに衝撃がなくなったら物を作るのをやめるべきだと。
 以前、博士が学生で芸人を目指す若者の前でこんなことを話していた。こびへつらい、予定調和をやるためにテレビに出ることが芸人の仕事ではなく、青天井の夢を持つやつらが芸人だと。 
 クリスマスから正月休みにテレビもいいけど本に触れる時間がもしできたら、「ボクの妻と結婚してください。」と「藝人春秋」の2冊を読んでみてはいかがだろうか。年末ジャンボにはない、さりげない夢が当たるはず。 

水道橋博士の決意を読み解く
By.杉江 松恋

『エキサイトレビュー』2012年12月7日 

​ 語り部は自分語りをしない。 
 語り部が自分について語るときは、何かのためという他の目的が必ず存在する。それを多くの人に伝えられれば、自分の存在は無に近いものであっても構わないと語り部は考えている。 
 水道橋博士という芸人がいる。一般には「浅草キッドの小さいほう」、「前科があるほう」で通じるはずだ。過去に芸人としての受け狙いで変装した写真で自動車運転免許を何度も取得し、道路交通法違反で罰金刑を受けたことがある。師匠ビートたけしの懲役6ヶ月執行猶予2年という判決とは比べものにならない微罪ではあるが。 
 本読みの間では水道橋博士は、自らの見聞したことを文章という形で後世に残さなければ気がすまないルポルタージュ芸人として知られている。
 博士が相棒の玉袋筋太郎とのコンビ、浅草キッド名で世に問うた『お笑い男の星座』は、梶原一騎の未完の自伝『男の星座』に題名を倣った名著である。この中で博士は、芸能界の花形たちを手の届かない星にたとえた。自分は、いつかは星をつかみたいと感じながらも地上にいる存在にすぎないと宣言し、星たちの数々のエピソードを書き記したのである。 
 すなわち、語り部だ。 
『藝人春秋』は、その水道橋博士がひさびさに世に問う、芸人列伝の一冊である。 
 収録原稿の大半は2000年代の前半に高田文夫責任編集の演芸マガジン『笑芸人』に掲載されたものである。2011年に電子書籍としていったんまとめられ、取捨選択の上今回紙の本として刊行されることになった。最初から始めて最後まで読まれるという、紙の本ならではの特質を活かし、大きく分けて3部、序破急の構成になっている。 
「序」に当たるのは『お笑い男の星座』の流れを汲んだ芸人列伝の部である。そのまんま東、甲本ヒロト(よく知られていることだが博士と甲本とは、岡山大学教育学部付属高校の同学年である)、石倉三郎、草野仁、古舘伊知郎、三又又三といった名前が並ぶ。それぞれの章で雑誌掲載当時の原稿の後に「その後のはなし」が付け加えられているのが特徴である。 
 たけし軍団の後輩である三又の章では、三又が小山ゆう『おーい竜馬!』の舞台化を狙っているという挿話が紹介されているのだが(2005年に実現)、それが「破」へのブリッジとなっている。次の章で紹介されている堀江貴文・元ライブドア社長に水道橋博士が、三又の舞台への出資を打診する場面があるからだ。当時の堀江貴文はニッポン放送買収の意図を表明して財界から総スカンを食う直前で、同じベンチャー創業者のさきがけとして坂本龍馬に対する敬意を表明していた。 
「破」は見事なトリコロールになっている。その意図は章題を上げるだけで理解可能だろう。 
「堀江貴文~フジテレビ買います~」 
「湯浅卓~ロックフェラーセンター売ります~」 
「苫米地英人~ロックフェラー買います~」 
どーですか、お客さん?(アントニオ猪木の物真似をする春一番の声で) 
「浅草橋ヤング洋品店」はかつてテレビ東京で放映されていた伝説のバラエティー番組だが、その中で量販店グループ城南電機の総帥、宮路年雄(故人。通称・宮路社長)をフィーチャーしたコーナーが存在した。銀行を介した信用取引を信用せず、常に多額の現金を所持して移動するため「歩くキャッシュディスペンサー」と浅草キッドに呼ばれるなど、宮路社長は経営者としてもかなり癖の強い人物で、はっきり言えば奇人であった。
 こうした奇人の発する空気をとらえ、笑いの形で大衆に公開するという芸は浅草キッドが確立したものである。宮路社長が大塚美容外科の石井院長と愛車のロースルロイス同士で綱引きを行うという馬鹿企画は、まだテレビが野蛮だったころを象徴する素晴らしい一場面であった。
 その後浅草キッドは深夜番組「未来ナース」で株式会社TOKINO(当時)社長の鈴木その子に着目し、ガングロブームに叛旗を翻す美白の象徴としてブレイクさせる。こうした一連の著名人いじりの集大成が、堀江・湯浅・苫米地の3人を扱った章なのである。 
 水道橋博士は浅草キッドの漫才台本作者でもある。単語の反復や連想のずらしを利用し、イメージの無限連鎖ともいうべき言葉の連なりを作り出すのが浅草キッドの漫才の特徴であった。
 その芸を文章に応用するとき、それは果てしない「謳いあげ」に転化する。さながら講釈における修羅場読みの如し。湯浅卓の章から一部を紹介しよう。 
 とにかく口を開けば連発するのが、 
「ウォール街的には……」 
 その枕詞は、すでにウォール=「壁」ならぬ「癖」の域。 
 いや、むしろ、聞くものを「辟易」とさせていた。 
「いいですかぁ、大統領ですら足を運ぶ街、それがウォール街です!!」 
 どこの壁新聞に書いてあるのか分からないことを吹き、 
「ウォール街こそが世界の支配者なんです!」と陰謀史観のバカの壁を万里に築き、 
「ウォール街は金持ちの涙で出来ています!」と周囲のツッコミを高い参入障壁で封じた後は、 
「ワタシガウォール街を選んだのではない。ウォール街がYUASAを選んだのです!」 
 最後は聖書からもフレーズをパクる。 
 もはや、こっちが嘆きの壁で懺悔したくなるほどだ。 
 2000年代、この言語遊戯の力をもって水道橋博士は文筆業界に殴り込みをかけてきたのである。
 自らの書評集の題名で「内職」ではなく『本業』と言い切る鼻息の荒さ。しかしそれは思い上がりではなく、自身に備わっているのは語り部体質であり、どこまでも恒星にはなれずにその輝きを反照する惑星の存在なのだという自覚のなせるわざであっただろう。だからこそ書評が「本業」なのである。 
 このへんで水道橋博士という存在は、私・杉江松恋が住む書評家の領分を侵食してくる。 
 そして第3部「急」である(念のため書いておくが、この3部構成という読みは評者のもので、本に記されたものではない)。
 実は『藝人春秋』という本に対しては2つの不満がある。その1つは、文章の大半が2000年代前半に書かれ、現在のものではないということだ。強いて言えばこの「急」の第3部に収められた文章は、水道橋博士が今ある姿への道のりを作ったひとびとの列伝であり、それを再収録することで自己を表現することを狙ったものといえるだろう。 
「破」からのブリッジとして、「浅草橋ヤング洋品店」プロデューサーとして1990年代までは狂気のまま暴れまくり、2000年代になるとお茶の間サイズに見事転身を果たしたテリー伊藤を最初に取り上げる。
 続いては故・ポール牧を取り上げ、喜劇に徹するためには不要だった何かを持っていた芸人の人生に思いを馳せる。続いては甲本ヒロトの再登場だ。ミュージシャンなのに立川談志の跡を継ぎたいと願う元学友に刺激され、自身もまたビートたけしという巨星を生涯追い続けることを誓い直す。
 そして、最後の3章でようやく水道橋博士は、自らの素の心境を吐露し始めるのである。 
「爆笑“いじめ”問題」と題された文章は「WEBダ・ヴィンチ」に2006年に発表された。その後2012年に学校におけるいじめが社会問題として再び重要視されるようになった際、水道橋博士は「朝日新聞」から「いじめられている君へ」のリレー連載への執筆依頼を受ける。しかし新聞の短いスペースでは真意が伝えられないと判断し、それを断って、すでに電子書籍として公開されていたこの文章を一般に無料で解放したのである。 
 現在も無料公開は継続中なので興味がある方はそちらを当たってほしい。この文章を読んで私が強い印象を受けたのは、かつて自分に「生きていても死んでいるような」空疎な時間を過ごしているだけの時期があったという博士が「ダメな自分を常にやさしく包み込んでくれる社会があるかのように保証している空手形に馴染めない」という一言だった。
 水道橋博士が留保つきで認める屹立する権威の壁や父性の象徴を、私はどうしても肯定することができない(〈私〉は耐えられるが、それを他人にも耐えろと促すことができない)。しかし、優しさを餌にするだけでは何も解決には至らないのではないか、という指摘には深く頷けるものがある。 
 それはさておき、「ダメな自分」「空疎な自分」の存在をさらけ出し、次の「北野武と松本人志を巡る30年」の章で対極にある巨星について博士は言及する。この章は一見第1部と同じ列伝記述をしているだけに見えるが、自身の卑小さを対比する強い意図がある点が異なっている。
 そして次の「稲川淳二」の章へと続くのである。 
 稲川淳二について語ったこの章は、2002年に書かれたものである。編集者からは強く書籍化を望まれたが、内容の深刻さを考慮して博士はそれに踏み切れなかった。語られているのは、稲川淳二というかつてリアクション芸で鳴らした人物の知られざるプライベートを吐露した実話である。その深刻さを人に伝えることが問題なのではなく、他の文章のように笑いへと昇華できているものではなかったからだ。
 しかしその後の状況の変化を受けてついに、ありのままをあるがままにさらけだすことが大事なのだ、という心境に至る。 そして『藝人春秋』を出すことを決意したのである。 
 その葛藤について書いた文章の中に、さらりとであるが自身の苦悩について触れた個所がある。50歳の直前で東日本大震災が起き、福島第1原発事故が日本を揺るがす大問題となったこと、震災前に複数メディアで原子力発電所の安全性を巡る広告記事に出演していたため“原発芸人”と揶揄され、一時は50歳をもって芸人を引退しようとまで思い悩んだこと。さらりとは書かれているが、紛れもない本音であろう。 
 稲川淳二の章を本のトメの位置に持ってきたのは、10年前に書いた文章に自身の今、心境を仮託しようという意図である。繰り返し書くが、「語り部は自分語りをしない」。語るべきものを語ることができれば、自分の存在は無であっても構わないと考えているものである。
 しかし、ここでは逆に、記事をもって自身を表現することを水道橋博士は選んだ。その苦衷の心境、差し出がましいようであるが書評という形式の文章書きを生業としている私には痛いようにわかる。本書を出すにはコペルニクスの転回のような決意を必要としたはずである。 
 しかしここで第2の不満を述べさせていただく。 
 10年前の文章が主となっていることに続き、もう1つ。ここまでさらけだすのであれば、むしろ優先すべきは語り部としての自分ではなかったのではないか。今回に限っては「語り」ではなく、「水道橋博士」を素材としていただきたかった。リリー・フランキーに「私小説」(帯の文言)と褒められて喜んでいる場合ではないんじゃないのか。 
 その昔、参議院議員だった立川談志は、二日酔いで記者会見に臨んで沖縄開発庁政務次官を辞任するはめになったが、その事実を世間にさらけ出すことによって芸人として開眼したという。倣え、とは言わない。芸人が何を言っても許される時代だったのは昔の話で、今は芸人にも世間並みの常識が求められる。早い話が、お旦がしくじったら面倒みてもらっていた芸人も頭を丸めて反省しろと言われるのが今の世の中なのだ。
 さらに言えば自我のモロ出しは世間に嫌われる。トルコで全裸でんでん太鼓を披露して逮捕された江頭2:50のように。『藝人春秋』のような物語と表現の鎧があって、初めて受け入れられるのである。それをよくやっている。世間の壁を突破するには十分な芸である。だからこそ次の課題は全裸で強行突破だ。すっぱだかであの夜空の星をつかんでくれよ、博士! (エキレビ! 2012年12月7日掲載)

 


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 以上が『藝人春秋』に対する私の書評である。 
 博士がひさしぶりに著書を出すと聞き、これは絶対に書評をやらなければ、と考えた。この媒体でやるという選択肢もあった。あえてエキレビ!というポータルサイトを選んだのは博士のファンではない人が多数を占める公開の場所で以上の文章を最初に発表したかったからである。
 その理由はおわかりいただけるのではないだろうか。100%の賛辞ではなく本の内容、特に著者の姿勢に対して一部批判を行っているからである。 
『お笑い男の星座』『本業』からの読者であれば、『藝人春秋』は間違いなくおもしろい本である。著者の特質が存分に発揮されている。特に話芸における語り口にあたる「文体」は確固としており見事だ。加えてエピソードの配置に芸があり、次第にグラデーションがかかっていって水道橋博士という著者自身が前面に現れてくるという構成の妙がある。今、以前からの読者としたが、もちろんまったく著者の本を読んだことがない人が手にとっても十分に楽しめるはずである。極端な話、水道橋博士が芸人であるということを知らなくてもかまわない。エンターテインメントとしての必要十分条件は満たしている。 
……というようなことを書いて終わりにしたくなかった、ということだ。 
 それは誰でも書ける。 
 書評家ではなくても、小説家でも、大学教授でも、芸能人でも、有名ブロガーでも、それこそアマゾンのレビュワーでも誰でも書くことはできる。 
 そして、それだけで十分なのである。「エンターテインメントとしての必要十分条件は満たしている」本だということを伝えるのが、書評の機能なのである。 
 私は「その先」に踏み出したかったということだ。 
 水道橋博士は『藝人春秋』を書きながら「語り部」としての本分から逸脱せずに自分を語ろうとし、どこかそれに飽き足りずに逡巡しているように見える。迷いがある。その迷いがもっとも顕著なのは甲本ヒロトを扱った章だ。自身が価値の創造者となり、自身が発信源となって世の中にそれを問うていくことについて、無意識の願望をここで口にしていると私は考えた。それは「語り部」の職分からは大きく外れている。 
 その二律背反、その自己矛盾を誰がいちばん皮膚感覚としてとらえられるのだろうか。 
 私だ。 
 私、それがし、me、オレオレ、俺だよおばーちゃん! 
「語り部」と同じように対象とする本に仮託することでしか自分語りが許されない書評家こそが、その逡巡について言及すべき職業なのである。 
 水道橋博士の気持ちがわかる、などと口はばったいことを言うつもりはない。 
 私はこの本を読んでそう考えた、というだけの話である。 
私は水道橋博士は「語り部」であることの飽き足りなさに倦んだのだと考えている。 
 その芸を磨くのは素晴らしいことである。しかし芸に飽きてしまったら、それをあっさり捨てて他の何かをやり始めてもまったく構わない。むしろ芸人らしい態度である。 
 だからこそ「さらけだす」ことの大事さを殊更に強調して書いた。その点が『藝人春秋』という本の物足りない点だと書いた。偽らざる本音である。さらけだし、「どこか別の場所」へ行く水道橋博士が見たいと心から思う。 
 先日、このメールマガジンで立川談志の追悼本について何冊か取り上げた。時間の都合で書けなかったのだが、もう一冊言及したかった本が実はあった。 
 立川談志とビートたけし、太田光の鼎談本『立川談志大独演会』(新潮社)である。鼎談といっても題名が示すとおり、主に話しているのは立川談志だ。がんの療養中だった談志を励ますべく、ビートたけしが太田光を誘って席を設けた。しかしその席では神妙な話題など一切出ず、とことんくだらない方向へと会は進んでいったのである。結果としてはこれが談志とたけしとの別れになった。なんともくだらなく、なんとも粋な別れだ。 
 なにしろ最初が例のオマンコマークの話から始まるので、どんな内容なのかはそれで推測していただきたい。 
 こんなくだりがある。上野の伊豆栄で3人が会食をしたときの話だという。 

太田――あれ、最高でしたよ。バスで帰るという師匠(談志)と僕が立ち話しているところへ、たけしさんがロールスロイスでパアーッと出てきた。そこで師匠が「これ、どこで盗んできた?」って訊くと、たけしさんが「いえ、バッタもんで、安かったんです」。僕はあのやり取りを見ているだけで、すごく幸せでした。で、ロールスロイスが走り去ってく時に、後ろから大声で「このインチキ野郎!」。鰻屋から出てきたサラリーマンたちが目を白黒させてましたよ。「わっ、たけしだ、えっ、談志だ。何だかわかんないけど、二人が騒いでる」って。 
たけし――そりゃ、おいらは自分のことをインチキ野郎とは思ってないけどさ、あの状況で口にすべき一番適切な言葉って「このインチキ野郎!」だね。この言葉を選ぶのがセンスなんだよね。 

 この「センス」を語る本なのである。私はどうしても夢想してしまう。「語り部」水道橋博士であれば、この場面をどう語ったのだろうと。そしてどのようなセンスで、この場面を語る言葉を選んだのだろうかと。「この場所」に、私は水道橋博士にいてもらいたかったのだ。 
 そしてもう一箇所引用する。談志がよく口にしていた芸人論だ。 

談志――たけしはテレビでもチンボコ出せるわな。出せるって、むろんモザイクはかかるにしろね。チンボコ出せるか出せないかで、芸人の一つのセンスがわかるんです。これはバカバカしいようで、重要かもしれないポイントで、出すやつもいれば、出せないやつもいる。たけしは出す。上岡も出す。三枝は出せない。太田はぎりぎりだけど、状況判断ができるから、ここは出さなきゃいけねえとなったら出すんじゃないか。鶴瓶は放っておいても勝手に出すだろう。 

 私は「水道橋博士も出す」と思っているのだが、どうなのだろうか。 
 そういうセンスについて考えながら私は『大独演会』を読み終えた。その印象を振り返りながら『藝人春秋』を再読した。そして達したのが「このセンスの書き手であれば、まだまだ見せていないものがあるはずだ」という結論だったのである。見せてないって別にチンボコのことじゃないですよ、奥さん。上の文章の中で「急」にあたる部分のことを言っているんですよ。「笑っていいとも」で「お友達の輪」になったリリー・フランキーに「私小説」と褒められて喜んでいる場合じゃないですよ、その言葉を真に受けたのなら凡百の「私小説」が霞んで見えるような芸を見せてくださいよ、と言いたいわけです。ミドルエイジの鬱だった自分、原発芸人と揶揄された自分自身を素材にして笑い飛ばして初めて、水道橋博士は笑ってる場合ですよ、ってことになるんです。裸になれ裸になれチンボコも出せ、としつこくホモセクハラのように言い続けたのはそういうことなの! こんなに細かく書くのは野暮かもしれないけど、みのもんたばりに思いっきり書いて見ました。 
 もしかすると誤読であるのかもしれない。だとしても著者に謝るつもりは特にないのだが、誤読をしたという事実については少し恥じるだろう。いや、誤読ではないはずだ。 

アンカー 26

静かな戦いの炎が燃える 「芸人」同士の人物批評
By.中江 有里

『週刊エコノミスト』2013年5月28日号より

 水道橋博士著『藝人春秋』に刻まれるエピソードの多くは、著者の弟子時代に基づく。著者の師匠である北野武氏はもちろん、石倉三郎氏、古館伊知郎氏など誰もが知る著名人たちの知られざる面や言葉を、紙面に再現させる。自身を「お笑いルポライター」と称する著者の文章は、一言で表すならば「密度が半端なく濃い」。
 もしわたしが同じような人物ルポを書くとして、これほど繊細にして大胆に対象人物に迫れるだろうか。書かれる方も書く方も「芸人」同士、静かな戦いの炎が熱く燃え上がる。著者の下地は、ツワモノによって織り上げられているようだ。
 主演ドラマの撮影中に田舎の父が倒れ、1日のみ帰郷して現場に戻った筆者に、共演者の石倉三郎氏は声をかけた。
「おう、帰ってきたか。ご苦労さん、辛抱しろよ!」 
 石倉は言う――辛抱とは辛さを抱きしめること。 
「辛抱っていうのは我慢と違うんだよ、分かるかい?」

必殺技は、捨てなければならぬ。水道橋博士著『藝人春秋』 書評
By.茂木 健一郎

2013/4/27『クオリア日記』より

 すばらしい本である。とても元手のかかった本である。絶対に買って読んだ方がいい。代金だけの見返り、いやその何十倍、何百倍の報いがあるはずだ。

 なぜか。元手がかかっているからである。博士が、ビートたけしに憧れて入門して以来、さまざまな仕事の現場で、藝人さんたちと話し、考え、感じ、見聞きしてきたことがぎゅっと濃縮されている。こんなに濃縮されていいのか、と思うくらいに詰まっていて、読んでいて、申し訳ない、と思うくらいである。 

 実は、ぼくは博士を一度だけコワイ、と思ったことがあった。成城学園前から歩いていくレモンスタジオでの番組の収録で、スティーヴ・ジョブズを初めとするいろいろな人を引用して、「変人が日本を救う!」みたいなプレゼンをしたら、それが案に反してブーイングで(ディレクターも意外な反応だったと言っていた)、特に博士がキツかった。

 ぼくがプレゼンター席に立っていたら、博士が横を、「茂木さんにしては甘かったな」とかつぶやきながら歩いていったので、ぼくはひええと思ってしまった。 

 その時、やさしかったのは、Shellyだけだった(あの時のこと、今でもありがとうと思っているよ、Shelly, thanks!)。それで、ぼくは心のバランスを崩して、思わず成城学園から新宿まで歩いてしまった。小田急沿線を、とぼとぼ、真っ暗な道を歩いた。遠かったなあ。2時間くらいかかったかしら。 

 それ以来、水道橋博士のツイッターを読んで、鋭い人だなあ、いいなあ、と思いながら、ずっとコワイと思っていた。ところが、先日、岡村靖幸さんのコンサートに行ったら、近くに博士がいた。ぎゃっと思ったが、やさしかったので、ほっとした。 

 それで、終わったあと、岡村さんの楽屋を訪ねて博士たちといろいろ話している時に、突然、ああ、博士は愛が大きくて強い人なんだなあ、と思った。鋭利な知性で、相手をしっかりとらえて、いろいろ言うけれど基本的に愛が強い。 

 『藝人春秋』は、その意味で、愛が強い本である。それぞれ、稀代の表現者たちの生き様を、エルグレコの絵のような強い陰影でとらえる。決して、相田みつを的な人間だものではない。時に内蔵をえぐるんじゃないか、というような鋭い舌鋒ながら、最後は、その人間を温かくくっきりと浮かび上がらせるのだ。 

 凄い才能だと思う。そして、あまりにも多くの元手がかかっている。『藝人春秋』を読む人は、博士のたどってきた特権的な視点を共有することができる。惜しみもなく、博士は書く。男前、太っ腹、利他的だと思う。博士の証言から、人生を学ぶことができるのだ。人間、苦しくても、泥にまみれても、いかに生きていくべきかと。 

 岡村さんのコンサートで博士に再会して、ずっと気になっていた『藝人春秋』を読もうと思った。屋久島で読み始めて、東京に帰ってきて読み継いで、ハワイに持っていって、ワイキキのクィーン・カピオラニ・ホテルで読み終えた。読みながら、あとで引用しようと思って頁をたくさん折っておいた。 

 ところが、ハワイ大学での講演に呼んで下さったホノルル・ファンデーションの方が、ぜひ読みたいというのであげてしまった。それでも何頁か記録しておこうと、空港に向かう車の中でiPhoneで撮ったが、なぜかフォーカスが合わなかったらしく文字が読めない。 

 だから、『藝人春秋』の数々のすばらしい文章のうち、本当に魂を揺り動かされた一言だけを記憶から引用しておく。確か、甲本ヒロトさん(※注・古舘伊知郎)の言葉だったと思う。 

「成長するためには、必殺技を捨てなければならない」。

 この引用を読んだとき、ぼくは本当に心が震えた。「藝人」とは、この言葉の真実に向き合って生きる人だろう。もちろん、水道橋博士もその一人である。ぼくは、「変人」という必殺技をどこかで捨てなければならなかったのだ。

水道橋博士の『藝人春秋』
By.田原 総一朗

2013/4/12『週刊読書人』 田原総一朗の取材ノートより

 今水道橋博士のおかげで、私はテレビのバラエティ番組に出演するようになった。それまで全く縁がなかったバラエティ番組に、私をいささかならず強引に引っぱり込んだのである。

博士は、何と私を"日本で最初のポルノ男優だ"と決めつけたのだ。自分でも驚いたが、私はこういうきめつけがそれほど嫌いではない。 その後、番組で何度か共演した。そして博士が驚くほど沢山の本を読んでいることを知った。博識の持主である。だが、そのようなことは一切ひけらかさない。お笑い芸人に徹している。

その博士が『藝人春秋』(文藝春秋)という本を書いた。  そのまんま東、古舘伊知郎、堀江貴文、テリー伊藤、ポール牧、爆笑問題など話題の芸能人が次々に登場するが、北野武と松本人志について書いた章がとび抜けて面白い。また博士の力の入れ方が他と違う。

ビートたけしは博士の師匠である。ビートたけしに惚れ込んで大学を中退し、彼の元に飛び込んだのである。 "ビートたけしの風貌を見ているだけでボクは今でも吸い込まれるように魅入ってしまう。この感触は弟子であるボクだけではないだろう" 博士はビートたけしを"テレビ界の『殿様』として永久政権の如く君臨し続けている"と書いているが、私もビートたけしを戦後最大の芸能人だと捉えている。

だが、博士は"芸能界のもう一人の天才"として松本人志を登場させている。そして二人の共通点を「二人共に、自分の才能以外には誰の影響も受けていないことだ」といい切る。

博士は、ビートたけしに忠義を立てるために、ダウンタウンとは共演しないと決めていたそうだ。 

雑誌で、松本人志はビートたけしと比較されたとき、「僕が一番だ」と答えた。そして六本木のクラブでビートたけしを囲んだ酒席がひらかれたとき、松本人志のことがいろいろ話題になった。誰もが松本人志が新しいライバルだと意識しているのである。 ビートたけしは、ずっと黙っていたが、最後"でも、俺のほうがより凶暴で、俺のほうがよりやさしい"と呟いたという。

博士は、ビートたけしと松本人志の関係を見事にいい当てている。 

浅草キッドファンが唸る一冊!!
By.花くまゆうさく

週刊『漫画ゴラク』2013/3/1号 花くまゆうさくの未読山脈より

​ 今回読んだのは「藝人春秋」水道橋博士(文藝春秋)。そのまんま東、甲本ヒロト、石倉三郎、草野仁、古舘伊知郎、三又又三、ホリエモン、湯浅卓、苫米地英人、テリー伊藤、ポール牧、爆笑問題、北野武、松本人志、稲川淳二ら15人の怪人・奇人・天才などを浅草キッドの水道橋博士が観察し続けたルポエッセイ。  
 水道橋博士渾身のこの一冊、本当は正月にじっくり読みふける計画でしたが、仕事が重なり断念。長年の浅草キッドファンとしては恥ずかしながら今頃やっと読みました。読書弱者の僕にとって324ページもある分厚い本は、本来登れぬ高すぎる山ではあるが、浅草キッドの本は昔から別!こんな僕でもじっくり読める、面白さと魅力にあふれた真にレベルの高い山でした。  

 なんせ1ページ内にある、たんなるダジャレではない意味深で気の利いた(トンチの利いた)フレーズ、対象者への見事な相づちや切り返しが無数にあるのだ。それが300ページ以上あるのだから、この本の中にある言葉選びのセンスだけで、座布団何枚必要か?ってレベル。それに本筋の各人物の魅力エピソードや博士の半生も加わるのだから、この本の中には笑いと驚きと輝きと哀愁すべて詰まってパンパンで、見た目通り正真正銘に分厚い本なんです。文字通り博士による、高度な論文でもある。  

 浅草キッドの言葉センスが昔からとても好きでした。80年代はじめ日本中に巻き起こったのが漫才ブームと新日本プロレスブーム。漫才ブームの核はビートたけし、新日本ブームの核はタイガーマスクと古舘伊知郎。 僕は、この本(藝人春秋)のキーワードになっている14才の思春期ど真ん中でそのブームをテレビから浴びてました。そして、大人になってからテレビで浴びたのが、ビートたけしのかっこいい毒と古舘伊知郎の実況スタイルを特殊に進化させた浅草キッドだったのです。 

 特にテリー伊藤演出で浅草キッドが実力をフル発揮した「浅草橋ヤング洋品店」の電波は凄かった。ユーモアと毒が絶妙に入り交じった言葉センスで声を張り上げて怪人達の珍行動を実況する浅草キッドに僕は夢中。大人になってから、こんなに熱狂して見たテレビ番組は浅ヤンしかない。テレビの前の大人を14歳にさせてくれる本でした。

 そんな事を思い出しながら夢中で読んだこの本も、僕を14歳や25歳や35歳にさせてくれたり、45歳の今、新たな気持ちにさせてくれる本でもありました。

 ちなみに浅草キッドの相棒・玉袋筋太郎さんの著書「男子のための人生のルール」と「新宿スペースインベーダー 昭和少年凸凹伝」。この2冊も、ホントに素敵な本でおすすめです。日本中の特に男子におすすめします。 

 そして、浅草キッド著「キッドのもと」も是非どうぞ!

人気者たちの孤独と深淵が顕わに
By.苅部直(政治学者・日本政治思想史)

『東京人』2013年5月号より

 流行作家という言葉には、どこか懐かしい響きがある。もちろん、いまでも村上春樹や北方謙三や浅田次郎といった人人をそう呼ぶことはあるだろう。しかしそれでも最近は「人気作家」という名称のほうが多く使われているのではないか。

 編集者として多くの作家たちと仕事を続けていた校條剛による『ザ・流行作家』は、この名称が、まさしく小説誌の黄金時代だった昭和四十年代に活躍した作家たちにこそ、ぴったりくるものだったことを教えてくれる。とりあげるのは、推理小説と時代ものの「木枯し紋次郎」連作で知られた笹沢左保と、ポルノ小説の大家、川上宗薫の二人である。

 彼らの活躍の場所は単行本でなく雑誌で、書く原稿の量は四百字づめで毎月一千枚。小説の連載をいくつも並行して進め、複数の雑誌に同時に短篇小説を発表する。そんな作業を律儀にこなすスタイルが、大衆小説の雑誌がよく読まれていた時代に、ぴったりと合っていたのであった。 

 しかし、そんな仕事を何十年も続けた二人の生活ぶりは、それぞれに破天荒である。多くの女性と関係をもち、それを小説の題材にしながら、「幼児体質」のような好奇心とユーモアを保ち続けた川上。ドンデン返しで読者を驚かせるプロットにこだわり、先輩作家から認められない屈託を深くかかえた笹沢。どちらも酒に溺れ、家庭を破綻させて、人生の終わりには癌との闘いを強いられた。

 二人の姿に校條は流行作家の「哀歓」を見るが、一冊を通読して心に残るのは、そこにつきまとう、どうしようもないほどに強烈な孤独である。そうした哀しみが裏に貼りついていたからこそ、その跡を消し去るために、猛烈に書き、酒と女性を求め続けた。そんなふうに思えてくる。

 同じような空気は、水道橋博士『藝人春秋』が伝える「テレビの世界」の有名人たちにも漂っている。何を考えているかわからない過剰な行動をくりかえす、そのまんま東や、弁護士としてウォール街で活躍しているのに、テレビのロケバスで弁当を頬ばる湯浅卓などのようすを、この本は巧みに描きあげている。だがここでも、表面上のおかしさの底に潜んだ、人間の業のようなものが行間から浮かびあがる。

 最終章では稲川淳二が怪談パフォーマンスに情熱を傾ける理由が明かされているが、その内容は衝撃的である。そこで用いられる形容は「怪談芸人という底無しの井戸の深淵」。この本がとりあげるほかの「芸人」たちの活躍の裏側にも、やはり各人の「深淵」が潜んでいるようである。その深みから発するエネルギーが、普通の人々がくらす世界とは別の次元にある「テレビの世界」の魅力を生み出すのだろう。 

 二冊で扱われた流行作家と芸人たちは、それぞれに常人とかけ離れた存在であり、だからこそ人気者になった。しかしその特異さが、むしろ普通の人々も含めて、立派な人間が放つ輝きの本質を、くっきりと描きだしているようである。

文章力ではもう大幅に超えている
By.はにぃ

2013年3月30日『図書新聞』より

 お笑い芸人でありながら、大騒ぎするタイプではなくいつもどこか冷めた目をしている。健康オタクだというのもお笑いっぽくない。そう思っていた、たけし軍団の浅草キッド・水道橋博士。  
 石原慎太郎氏から突然電話があって「君の文体はな、三島由紀夫に似てるんだ」「純文学を書きなさい。私が見てあげるから」と言われた……そんなエピソードを週刊誌で見かけてから、ずっと気になっていた。  

 本書は、水道橋博士から見た14人の有名人たちと、いじめ問題について書かれた「TVの裏側の物語」である。軍団の先輩で土を超えた大真面目と大馬鹿がそのまんま同居している「年中夢中」な東国原英夫。岡山大学付属中で同級生だった「日本のロック界に革命を起こした」甲本ヒロト。草野仁氏の章では、頼まれて出場した長崎県の相撲の国体予選で相撲部でもないのに優勝する。初めて体験したレスリングで大学のレスリング部員に勝つ。高2の時、100m走で11秒2を記録した……そんな東大卒の文武両道なスーパーひとしくんのふしぎを発見していく。 

「私がロックフェラーセンタービルを売った男です」「オレがあのロックフェラーセンタービルを買った男なのね」と言い合う自意識過剰な国際弁護士・湯浅卓と脳機能学者・苫米地英人氏の大言壮語なエピソードでは抱腹絶倒させられる。一方、稲川淳二氏やいじめ問題についての章では、悩み葛藤しながら綴っている様子にホロリとさせられた。  

 その他、あっけらかんとした堀江貴文氏、デタラメでハチャメチャな異才テリー伊藤氏、一時期懇意にしていたポール牧氏……など幅広い個性豊かな面々について、驚異的な記憶力と冷静な観察眼で分析し、石原慎太郎氏絶賛の文章力で読者を惹きつけ、芸人の巧みさで笑かしてくれる。 

 文体が三島由紀夫に似ているかどうかは全くわからないが、笑いながら読んでいても、彼の苦悩や悲壮感が伝わってくる。 息子に武(たけし)・娘に文(高田文夫氏より)と名付けるほど、殿や高田文夫氏の才能を心から崇拝し、「あなたに褒められたくて」お笑いをやっているという。 しかしどうやっても自分には越えられないと諦め、達観しているその姿勢に感動を覚えた。お笑いの世界では、この先も彼らを超えられないのかもしれない。いや、越えられないだろう。でも、もうこのままで十分なのではないだろうか。文章力ではもう大幅に超えているのだから 。 

芸能界を彩る怪人、名人たちの生きざまを描く 
 絶句と感度に満ちたポートレート集

By.中条 省平

『THE MONTHLY MITSUBISHI』2013年4月号より

 水道橋博士は、玉袋筋太郎とコンビを組む漫才コンビ「浅草キッド」の一人だが、文筆活動にもオリジナルな才能を発揮し、タレント本50冊を論じた『本業』や、自分の健康オタクぶりを題材にした『博士の異常な健康』など、そのツッコミの鋭さで読者の笑いのツボを大いに刺激してくれる。

 博士はたけし軍団の一員でもあり、多くの芸能人と接し、また、ライブドアの元社長・堀江貴文などとも意外な交友関係を築いてきた。本書はそうした友人知人のなかから、危険なまでに特異な個性を振りまく14人を取り上げ、爆笑と絶句と感動に満ちたポートレート集に仕上げている。面白いことこの上ないが、それにとどまらぬ博士の深い人間観察が随所で輝いている。

 扱う面々は、先のホリエモンのほか、そのまんま東、元ブルーハーツの甲本ヒロト、草野仁、テリー伊藤、ポール牧、北野武など、興味津々の人選だ。みんな文句なしに強烈な人間像であり、この世にはなんとまあ色々な人間がいて、それぞれに重い業を抱えているのだなあと目を瞠らされる。

 例えば、稲川淳二の場合。情けないお笑いと怪談話で知られるが、彼には重度の障害を抱えた息子がいる。お笑い芸人は身内に不幸があっても人を笑わせなければならない。だが、彼は笑いのために自分の気持ちを殺すのをやめた。そして、息子との凄絶な体験を通して、この世に要らない命なんてないことだけを知ってくださいと訴える。ここには藝人の真実の瞬間が露呈している。 

私のおすすめブックス
By.松田 哲夫(編集者)

NHKラジオ第一『ラジオ深夜便』 (2013年3月18日放送) より 書き起こし

明石勇(アンカー):水道橋博士著『藝人春秋』(文藝春秋)です。水道橋博士というのは漫才コンビ浅草キッドの人ですね。 

松田哲夫:ビートたけし、北野武さんのお弟子さんというか、たけし軍団の1人なんですけど、これはいわゆるお笑いの人、芸能の人っていうのが本を書くケースっていうのは沢山あるんですけれど、でもその中で非常に面白い本、優れた本を書く人が時々出ますけども、この水道橋博士って人は、まず文才があるなぁと思いましたね。書かれている中身はもちろん長年の芸能生活の中で溜まってきたいろんな蓄積みたいなものが、いい形で発酵して何かとても独特の世界を作っているっていう感じで、文章が何か独特のものがあるなぁという感じがしましたね。まあ芸人という風にいっても、お笑い芸人がメインですけども、目次をみているとそのまんま東さんとかポール牧さんとか石倉三郎さんとか稲川淳二とか、割に笑い系の人が多いんですが、その中に古館伊知郎さんとか草野仁さん……草野さんというのは明石さんの後輩ですね? 
明石:同僚でしたから、大阪放送局に一緒にいたことがありましたね。一緒に泊まり勤務なんかやりましたよ(笑)。 

松田:それからライブドアの堀江貴文さん……ホリエモンですね。一見なんかバラバラな、「なんでこの人とこの人が一緒にいるんだろう」と思うようなメンツなんですけども、読んでくと「今の時代の芸」ないしは「お笑いの芸」というものがどういうものなのかということを明らかにするために、やっぱりテレビというメディアで大衆に受ける人たちの表の顔、裏の顔みたいなものをずっと追っかけていく中で、「今の時代の笑いの芸」のいうのがクッキリと見えてくるという気がするんですね。芸談として非常にいい話もありまして、石倉三郎さんという最近は名脇役なんですけども……。 

明石:朝の連続テレビ小説で出てきますよ。 

松田:となりの人みたいな感じでよく出てきますが……そのエピソードを…… 

明石:その部分を読ませて頂きます。 

(石倉三郎の章の朗読) 

松田:なかなか人情味のある、いいお話しですけれど、これは水道橋博士さんがお父さんは倒れられてお見舞いに行って帰ってきたっていうところのお話しなんですけれど。石倉三郎さんのような人いれば、例えばそのまんま東さん……東国原さんといいますか、非常に大真面目な東国原さんであると同時に、ある種どうしようもないそのまんま東さんという2人のキャラクターが1人の中に共存しているという……それを近くで観察している水道橋さんの分析が、非常に鋭いです。 

明石:人間観察力っていうんでしょうかね、すごいですね。 

松田:怪談話で有名な稲川淳二さんも、その芸を一枚、皮を剥いてみると彼自身の非常に家族の問題とかいろんな悩みや辛さを抱えている姿が見えてきて。でもまたそれも芸の中に溶け込んで出てきてという、虚と実が混じり合っていく。そうやって独特の芸が出来てくるんだなぁっていうのがなんともいえず面白いですね。 

明石:水道橋さんは下積みで苦労された分、この本で爆発させてしまうというか、そういう迫力みたいなものを感じるんですけどね。 

松田:ビートたけしという天才についていこうと思って、でもやっぱり越えられないわけですよね。その超えられない自分っていうのを見つめながら書いてるから、独特の深みがありますよね。多分ビートたけしさんとか松本人志さんには絶対書けない世界じゃないかなぁという気もしますね。 

明石:水道橋さんは岡山の超有名中学出身で、そういう内に秘めたる力っていうんでしょうか、その文章書く、或いは書きたいと思う気持ちのなんかも今まで秘めていたような感じもしますね。まあ単なる芸能の裏話じゃない……一つ一つが哲学書的な、そういう内容も魅力的ですね。 

松田:そうですね。小説……ある種の実名小説として読んでも面白いと思いますね。 

明石:『藝人春秋』は、雑誌の『文藝春秋』と同じ活字体、書体です。 

松田:表紙を見ると「あれ?文藝春秋かな?」っと(笑)。文藝春秋が出版社なんで、遊んでるんだと思いますけど。 

明石:なんかパロディ的な雰囲気もあっていいですよね。
 
松田:たださっきも言いましたけど、芸人の話なんだけど文芸の域に達している作品だという意味も込められているんじゃないでしょうかね。

芸の道で鍛えられた最強のルポライター
By.最相 葉月

『BOOK asahi.com 本の達人』2013年3月15日より

​『藝人春秋』は、『お笑い 男の星座』『お笑い 男の星座2』に続く、お笑いコンビ・浅草キッドの一人、水道橋博士の芸人ルポルタージュ第3作である。  
 登場する人物は、そのまんま東(東国原英夫)、甲本ヒロト、石倉三郎、古舘伊知郎、苫米地英人、テリー伊藤、ポール牧、北野武、松本人志、稲川淳二ら16人。2000年から2010年に、雑誌「笑芸人」や「ブルータス」に書かれたものを中心にまとめ、各章の末尾には「その後のはなし」として後日談が新たに書き下ろされている。  
 この本は、昨年のはじめに電子書籍が出ていたので既読だった。期待違わず、おもしろく味わい深い芸人ルポを心ゆくまで堪能できた。本稿を書こうとして年末に出た単行本と新しい電子書籍を読んでみたところ、驚いた。ずいぶん変わっていたからだ。
 登場人物の取捨選択が行われただけではない。一度書いた文章を練り直すだけでも気が重いものなのに、後日談を添え、あとがきにまで人物ルポを織り込むのは、たんにサービス精神からだけではないだろう。納得のいくまでていねいな本づくりをしたいという想い。背水の陣で何かに挑もうとする、悲壮感も漂っている。逝去から間もない児玉清との思い出について書かれたあとがきを読み終えたとき、鳥肌がたった。文藝春秋の「本の話」ウェブ版によると、「12月に上梓した『藝人春秋』はボクが50歳になったことを記念し芸人を「引退」する覚悟で書き始めました。」(「自著を語る」)という。博士が、やはり、と思った。  

 水道橋博士の目がずっと気になっていた。お笑いの舞台に立っていても、バラエティ番組に出演していても、著作を読んでいても、いつも同じ目をしている。その目がどんな目なのかというと、たとえば、本書の「石倉三郎」の章で確かめることができる。  ビートたけしの修業時代を描いたドラマ『浅草キッドの「浅草キッド」』収録の待ち時間、相方の玉袋筋太郎と石倉三郎が楽しそうに話し込んでいる横で、水道橋博士が台本を読み込んでいるくだりがある。  
 水道橋博士は自らの師匠であるたけしを、玉袋はたけしと浅草フランス座で寝食を共にする寡黙な文学青年・井上雅義を、石倉はたけしが敬愛する浅草時代の師匠・深見千三郎を演じている。水道橋博士は、「現存する"日本で最も有名な師匠"」を演じなければならない重圧に押しつぶされそうになり、タップダンスの特訓もあって心身共に限界に近づいている。  
 深見が芸人として腕を上げていくたけしに目をかけ、作家志望の井上はそれを遠巻きに眺めている。ドラマは、そんなほろ苦い井上の想いが静かに描かれているという設定だった。ところが台本とは裏腹に、台詞が少なくスケジュールに余裕のある玉袋は終始リラックスして撮影を楽しんでいる。たけしとは浅草時代の芸人仲間である石倉と玉袋の馬鹿話は、やがて芸論になり、ビートたけし論になる。  

「師匠、どうやったって僕たち、殿みたいにはなれないですよ! 殿は本当に凄いです……」  
「いいか、玉ぁ! タケちゃんってのは、たったひとりなんだよ! どれだけ憧れようが、タケちゃんにはなれねぇんだよ! そこをわきまえて芸人はやらなくちゃいけないんだよぉ。俺は芸人でも、自分をわきまえない奴ってのが、だいっ嫌いなんだよな」  
( ――たけしと深見が楽しそうにやりあう姿を、遠くから眺める井上)。そんなト書きのシーンが続く台本を読み込んでいる自分の目の前で楽しそうにやり合っている二人を見て、水道橋博士は内心つぶやく。 〈ボクがたけし役のはずなのに、現場では、まるでボクが井上雅義のようだった〉。  

 この目、である。週刊ポストで1150回以上続いている「ビートたけしの21世紀毒談」の読者であれば、この長期連載がずっと「構成/井上雅義」の名義で書かれていることに気づいているだろう。「井上雅義のようだった」というのは、だから、"目撃者"ということだ。そして、その目は、ビートたけしになれないことをわきまえている者の目である。  
 諦観しているのではない。場に没入できないのでもない。冷ややかなわけでもない。頭の右斜め後ろあたりにもう一人の自分がいて、いつも自分を見ている。前からも後ろからも、上からも下からも自分を見ている。そういうふうにしか生きられない自分を少し持てあましているような目だ。  
 自分を知り、現実という「この世」と芸能界という「あの世」をせわしく振り子のように往還することを厭わない。そんな目をもっていたから、水道橋博士は自ずとルポライターになったのだと思う。  
 遅かれ早かれ、目撃者側の仕事人に鞍替えする人ではないかと感じていたが、では、水道橋博士自身はいつ頃から自分の目を意識していたのだろう。  
「変装免許証事件」で謹慎中、高田文夫に呼ばれた鍋の席で古舘伊知郎に会ったときのエピソードがある。子どもの頃からプロレスの大ファンだったから質問には事欠かない。本人も忘れていた実況を再現してみせて古舘の関心を引きかけた時、水道橋博士は不意に話題を変えてこんな質問をする。  

「『おしゃれカンケイ』で手紙を読むとき、古舘さんはどうしてあんなに冷静に読めるんですか?」  
 すると、古舘は「細い目を一度自覚的に大きく開くと顔を作り直して」こう答える。  
「……博士ぇ、オレはね『人より心が冷たい』んだよ。でも、あれにはプロの企業秘密もある。うん。ある方法がね。それはまぁ、得意技は人には語らないし教えないけどさ」  

 水道橋博士が「お笑いルポライター」を自称するずっと前のやりとりだ。読者がここで知りたいのは手紙を冷静に読むための技ではない。技は教えないといわれてすかされたようにみえて、古舘がすでに水道橋博士の質問に答えていることは明白だろう。相手の中にすでにあるものが自ずと流れ出てくる、そのぎりぎり直前のタイミングを察知し、瞬時にボタンを押す。天性のインタビュアとしか思えない質問力の冴えを垣間見る瞬間である。  
 各人の人柄や醸し出す雰囲気を表す一言も、「技あり」「一本」の連続だ。「『芸人という病』の臨床例」(そのまんま東)。「何処にでも草鞋が脱げるタイプ」(三又又三)。「崖っぷちから転落しても、どん底でも踊っている」(堀江貴文)。「二人の共通項は枚挙に暇が無いが、断じて言えるのは、二人共に、自分の才能以外には誰の影響も受けていないということだ」(北野武と松本人志)……等々。私たちがおぼろげに感じていることを、鋭い言葉や比喩を駆使して、本当の現実として示してみせる。これぞ、芸の道で鍛えた文学の力、と唸ってしまう。  

 それにしても、本書に登場する人々はみな両手で耳を塞ぎたくなるほどうるさく過剰である。もちろん、芸人はみな確信犯だが、天然過剰がテレビで増幅された人たちもいる。水道橋博士はそのどちらも愛する。自分が決してたどりつけない世界をもつ者として。  
 ただ、後日談「その後のはなし」を読んでいると、哀切さが胸に迫る。湯浅卓や苫米地英人は、結局よくわからない人のままテレビからいなくなった。古舘伊知郎やテリー伊藤のような異能の人も、今では夜の報道番組と朝のバラエティ番組という、お茶の間ターゲットの枠でキバを抜かれたライオンのようにおとなしく収まっている。ポール牧は自ら死を選び、稲川淳二は障害をもつわが子のためにお笑いをやめる決意をした。  
 彼らを消費し尽くした「私」は、良心の呵責に苛まれつつ、それでもテレビという快楽を手放すことができない。欲深く、身勝手で、気まぐれな視聴者でごめん、と頭を下げたその瞬間、新しい刺激を求めてリモコンに手が伸びている。「この世」と「あの世」の狭間で引き裂かれている彼らのもう一つの顔に思いを馳せることもなく……。こんな残酷な者どもに食い尽くされぬようにするには、過剰さを苦にしない鋼の心臓が必要なのだろう。でも、たぶん、みんな、やさしすぎる。  

 芸能界を描かせたら、私の中で、水道橋博士は現代最強のルポライターとなった。最強なのは、彼らのようにはなれないという引き算から始まって、頂に辿り着こうともがき、不断の努力を続けているから。水道橋博士がもう一人の師と仰ぐルポライター、竹中労は、芸能界の支配構造に迫ったルポ『タレント帝国』以降、芸能記事を書かなくなった。願わくば、水道橋博士版『タレント帝国』で平成の芸能界に斬り込み、師の無念を晴らしていただきたい。

藝人春秋を読んで
By.益子 由梨絵(代官山蔦屋書店)

『本よみうり堂』本屋さんへ行こう 2013年3月4日より

「芸人とは、その生きざまが芸である。 芸人と言う物語であり、業であり、病である。」 

  そんな前書きで始まる本書は、芸人たちの記録文学でありながら、水道橋博士の半自伝的小説でもある。だが、ここまで周囲の人々を描くことで自らを表現した人がいたのだろうか。自伝であり記録文学である、この二つを同時に体現するのは容易ではない。 

 博士は、芸人且つ観察者、記録者に成りきる。そして外部者には描けないであろう愛おしさやおかしみを持って切り取り続けるのだ。無論、身内同士の慣れ合いなどは一切ない。ありのままだ。そして、見るということは見られるということでもある緊張感も伴う。 

 数々の「芸人」(という枠をはみだしている人)がずらりと並び、個性的すぎる面々に疲れてしまわないか懸念したが、真摯な叫びが壮快に届いてきた。中でも印象的なのは、それぞれの顔が浮かび上がるような本人たちの発言だ。ハッとさせられる一言を、博士は決して逃さない。 

「アイツがあの音を鳴らした時の"気持ち"をコピーするんだよ。衝動を。」甲本ヒロト 「カッコイイよねオレ!20代で医学部助教授だぜ!」苫米地英人 「奇麗事よりも本音を言うほうがぜったいに面白いんだ」太田光 「俺のほうがより凶暴で、俺のほうがよりやさしい」北野武 

 春と秋。季節の移り変わり目には、風変わりな人が神出鬼没する。だが、そんな季節にこそ人は岐路に立つのだと思う。本書に登場する芸人たちは、その一瞬に毎日のように立ち続けているのではないだろうか。彼らの息使いが、聞こえ立つ。 

藝人春秋を読んで
By.清水ミチコ

『GOETHE』2013年4月号より

​ 同じ脳みそでも、男性と女性では、大きな個性の違いがあるものらしい。  
 女性は同時に二つの事ができるのが特徴で、感情と思考が両立できるのですが、男性は一つの事をまっすぐ深く掘り下げて行く傾向が強くあるのだとか。なるほど、オタクとか収集家なんかに女性が少ないのも、うなずける話です。  
 私の長年の友達でもある、水道橋博士の著書『藝人春秋』を読んだとき、そんな事を思い出しながら、再確認しました。  
 そして、本当に男というものは、男が好きなのだ。たとえどんなにその男が女好きだったとしても、それとは別の回路に、もっと深く男を好きになれる底知れぬ沼があるみたいなのです。 
 それにしても博士の話の聞き方の上手さ、その興味の深さ、書き方のクレバーさ、シャレの楽しさ、それぞれが手を取り合って、見事に面白い一冊となっています。
 と同時に、書いている彼の脳波から出るドーパミンのようなものが、こちらにまで伝わってくるのです。ここがめずらしかった。人の事を書いてるんだけど、自分の何かを吐露してるような。 
 ちっとも知らなかったこともたくさんありました。甲本ヒロトさんは、談志さんの大ファンであったとか、笑わずにはいられない、三又又三さんのその神経の太さとか。
 やっぱり、面白くて濃い人が多いなあ、なんて思って読み進むと、博士に対して、さりげなくなぐさめる、ある日の石倉三郎さんの言葉が待ってたりするのです。

「辛抱ってのは辛さを抱きしめるってことだからな。今はひとりで抱きしめろよ!」

 この男気に、ふとこっちの胸までつかまれてしまいそうに。 
 そう、これはとてもとても濃厚な一冊。きっと書き上げたときは嬉しかっただろうなあ。こういう本の女性版があったら、と想像してみると、なんとなく嘘っぽいというか、安っぽいカンジがするのは何故なんですかね……。 

藝人春秋を読んだ
By.とみさわ昭仁

はてなダイアリー『蒐集原人』2013年3月4日より

​ 水道橋博士の話題の書、『藝人春秋』を読んだ。読む前に評判の声を各方面から聞いていたので、いまさらそこへ踏み込むのも気が引けるなあと、逡巡しつつ読んでみることになったが、そんな心配は杞憂だった。たしかにこれはすごい。 

 本書は、博士が師匠として選んだビートたけしを筆頭に、兄弟子のそのまんま東、芸人の先輩であり俳優でもある石倉三郎、芸能界最強のアナウンサーと噂される草野仁、ホリエモンこと堀江貴文、バカみたいに天才過ぎる苫米地英人、他にもテリー伊藤、ポール牧、稲川淳二、甲本ヒロトなどといった芸人(コメディアンではない人も含まれるが、芸能人もしくはエンターテイナーと解釈すれば万事オーケー)たちの逸話集だ。 

 漫才師を本業とする水道橋博士の書いた本なので、「芸能界おもしろ裏話レポート」みたいなものを想像していると、そのあまりの本気ぶりにショックを受けるはずだ。とにかく出てくる人物がいちいち濃い。いや、「濃い」という表現もいまとなっては手垢がついた感じがするな。自分は彼らに"破格な人"というイメージを抱いた。既成の価値では測れない、スレスレな人たちだ。そんなプライスレスな人たちの姿を、博士は様々なエピソードを積み重ねながら緻密に切り抜いていく。まるで表紙になった福井利佐氏の切り絵と呼応しているように。

 博士の文体は浅草キッドの漫才の作風(芸風)とも似ていて、とにかく文章にスピードとリズム感がある。そのうえで、随所に洒落や言葉遊びを「これでもか!」というほどに詰め込んでいく。この"畳み掛け"が気持ちいい。ギャグを解説するほど野暮なことはないのを承知で、あえていくつか紹介する。 

 かつて甲本ヒロトが発した「中学時代、ラジオからビートルズが流れてきたからロックをはじめた!」というセリフを受けて、博士はこう返す。「中学時代、ラジオからビートたけしが流れてきたから芸人をはじめた!」と。韻を踏んでいるが、それが単にギャグのためだけで終わっていないことがわかるだろう。 

 博士の文章は流れるように読めるので、逆にそこへ引っかかりのある単語が出てきたら要注意。ギャグの前触れだ。三又又三の章では、「坂本龍馬マニアとは、この手の大物願望の夢想家にやたらと"多い病魔"であるが──」ときて、おや? と引っかかる。すると、そのすぐあとに『お~い!龍馬』のタイトルが来てニヤリとさせられるという寸法だ。 

「そもそも演劇音痴の三又だ。どうせ三又の三文芝居と言われるのがオチだ。」という一行なんてどうだ。三又と三文という、音ではなく"似た字面"をかぶせてくるトリッキーさにまず目を奪われるが、その影で「音痴」と「オチ」が韻を踏んでいる。

 野暮はこれくらいにしよう。本書に登場する16人のうち、誰の章がもっとも心に響くか、それは読む者次第で変わるはず。自分は人生の途中で職を変えた身なので、石倉三郎氏の言葉に何度も心奪われた。それと稲川淳二氏。おれも娘が小さいときに実家へ預けていたり、早くに女房を亡くしたりしているので、家族との別れの話はたまんないんだ。 

 そして本編をすべて読み終え、ほっとしながら「あとがき」を読んだら一昨年に亡くなった児玉清氏の話が出てきて、追い討ちをかけられてしまった。NHK BSの「週刊ブックレビュー」で拙著『人喰い映画祭』が取り上げられた際、「ひとくいえいがさい」という不穏なタイトルを児玉さんがあの声で読み上げてくださったのは一生の想い出として残っている。訃報をきいたときには実感が湧かなかったが、博士のあとがきを読み終えた瞬間、自分も「黒いシミがボタボタッ」となった。 

水道橋博士「藝人春秋」について
By.
島田 雅彦

2013年1月28日 TOKYOFM『TIMELINE』書孝空間より(書き起こし)

 最近、水道橋博士の『藝人春秋』を読んで。ほとんどロゴも文芸春秋そっくりで、文芸春秋から出ていますけどね。 

 いろいろ人物伝は数多くありますが、水道橋博士が個人的によくご存知のみなさん。とくに水道橋博士にとってはイエス・キリストである北野武をはじめとして、そのまんま東、古館伊知郎、テリー伊藤、爆笑問題、ホリエモンとか稲川淳二とか松本人志とかテレビでもおなじみの芸人たちの私生活に踏み込んだ一種のルポルタージュであり、列伝ということになるんですけど。 

 やっぱりこの芸人の人たちというのは、単にお茶の間にお笑いをお届けするというのに留まらず、良い意味でも悪い意味でも常軌を逸している人たちでもあるし、私生活における武勇伝、それがその人たちの人間的価値を決める独特な世界だと思うんですよね。 

 水道橋博士自身も芸能界というあの世と言ってみたりして、そこに、巣くうおかしな魑魅魍魎の人たちのエピソードがちりばめられていて、類書で思い出してみるとですね、去年お亡くなりになった立川談志一問の落語家のみなさん。まぁ立川談春さんがそのルポを書いていますけれども、この落語家の世界というのも、これも芸人のみなさんですけど、常軌を逸したところがあって、どこか生活を犠牲にして、芸道に励むというその性懲りのない面々の生き様が非常におもしろおかしくというか、あえてウケ狙っておもしろおかしく書かなくても、そういう身近にいる芸人たちの私生活をそれこそリアルに描写するだけであきれてものが言えないという、まぁそういう風なものだと思いますね。 

 かつてそういう芸人に求められているようなちょっと武勇伝的、常軌を逸した感じというのは、昔は文士に求められていたところがあったわけですよ。 

 特に小説家といったもののイメージをあげるときに、太宰治とか坂口安吾とか、ああいった戦後の焼け跡にあらわれたいわゆる無頼派の作家たちですね。 このイメージというのは割に昔ながらの文士のイメージと重なるところがありまして、もちろん良い作品を書くことが求められてはいるんだけれど、その文芸、文学に留まらずですね、私生活においても、どこか常識破りなことをやってくれると、いうことが多くの社会の読者たちの期待を担う形でやってたというところもあって。 

 まぁ、そういう昔の文士の仕事は、今は芸人に受け継がれていったのだなということを 古い世界である文学の人間も感じたわけですけれども。 

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「藝人」たちに注がれた 博士の異常な愛情
By.
山村 杳樹

『新潮45』2013年3月号より

 ブラウン管(今では液晶画面というべきか)の上に、泡沫のように浮かんでは消える「芸人」たちの消息など誰も気にかけないし、気にする必要もない。面貌と名前がかろうじて一致する頃まで生き延びることが出来れば、まずまずの首尾といえる。観客としてみれば、おもしろおかしい彼らの表層をひととき楽しめればそれで充分なのだ。

 しかし、彼らも一人の人間である以上、秘められた内面や懊悩を抱えているのは当然だ。 筆者は、彼らが生息し、自らもその一員である世界を「この世のものとは思えぬあの世」と書き、この異界で「目にした現実を『小説』のように騙る」。 登場するのは、そのまんま東、甲本ヒロト、石倉三郎、草野仁、古舘伊知郎、三又又三、堀江貴文、湯浅卓、苫米地英人、テリー伊藤、ポール牧、太田光、北野武、松本人志、稲川淳二、といった面々。中学時代の同級生だったという甲本を除いては、彼らの肖像は、テレビという現場で、実際に見聞した事実に基づいて描かれている。それぞれがエピソードに満ち精彩を放っているが、そのまんま東が、「殿」の鉄拳制裁を受けた際に放った珍妙な言葉や、企画会議でテリー伊藤が放った錯乱気味の雄叫び、湯浅卓と苫米地英人の虚実定めがたいセレブ人生、など、「騙られ」ているとしても、その面白さは魅力的だ。

 もう一つの魅力は、著者の批評眼の的確さ。例えば、プロレス解説者からニュース解説者に転身した古舘伊知郎について、「時代の変遷に取り残されたままリベラルな文脈を強制され続ける、かつての過激な活動家のような窮屈さを思わせる」と評し、「この二人がいることの祝福と呪縛の狭間で我々は育った」という北野武と松本人志について、一人が強烈なカリスマ性を有するのは、笑いの中に『面白い=切ない=哀愁』が一瞬にして交叉するセンスの水流が常に枯れること無くあるからなのだろう」と書く。

 各章は、過剰なまでの駄洒落を盛り込んだ、いかにも「芸人」に相応しいサービス精神に溢れた文章で綴られているが、「爆笑"いじめ"問題」の章は、ビートたけしに憧れて上京するまでの個人史をたどりつつ、いじめ問題に誠実に向かい合う異色の章となっている。 「男の戒律社会であり鉄拳制裁が飛び交い、理不尽な暴力すらもまかり通る、文字通り、いじめ社会だった」たけし軍団に飛び込んだのは、自らの思春期に沁み込んだ負性の血を入れ替えるには「他者からの強制、理不尽を受け入れ続け、自分が耐えうるだけの、あらゆる我慢、忍耐の経験が必要だった」から――。これは、現在、流通しているいじめ論に欠けている視点ではないだろうか。

 ともあれ、「藝人」たちに注がれた「博士の異常な愛情」は、熱く深い。

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キャリアすべてが身になった男
By.
田中 直人

『TVぴあ』 放送作家リレー連載 TV裏紳士淑女録

捕まるんでないのか!? お前も――と、田舎の父親からの電話。まだ昭和だった86年12月、あの“フライデー襲撃事件”があったからでした。僕がこの仕事を始めて半年も経っていなかった当時。大学生ながら番組のスタッフに加わったことで、それまでは“ビートたけし”と言っていたのを急に「たけしさん」と呼ぶようになっていた僕を、父親は「東京で、たけし軍団に入ったんだ」と思い込み、事件の報道を知るや驚き、心配したようでした。

 その頃、浅草を拠点に相方・玉袋筋太郎と漫才の修行中だったのが、水道橋博士。師匠と兄弟子たちが突然いなくなり、テレビでは“たけし”の名前すら出せなくなった状況に、目の前が真っ暗になったことでしょう。でも彼は、ひたすら修行を続けます。目指すはツービートのような漫才師。その一方、番組の企画作りにも興味を持ったか勉強のためか、僕ら若手作家に混じって会議にも出たり(テリー)伊藤さんはじめプロデューサーやディレクターの言動ウォッチングに励んでいたり、いつも鋭い観察眼を光らせていた意欲的な男。現場では僕の方がちょっぴり先篭だった上、彼は常に低姿勢だったため“水道橋君”なんて呼んでいたんですが、やがて僕より二つ年上だと知ってからは敬意も込めて“博士”と呼ぶようになりました。
 
 仕事以外で博士と会う事が多かったのは、当時のダンカンさん宅。中野の大通りに面したマンションで、僕ら若手作家も気軽にお邪魔させていただいていました。ただし弟弟子である博士は、そこでは僕らに、“兄弟子のお客さん”として接するため買い出しや片付けなどに忙しく、気軽に酒を酌み交わす事も無いまま。ある時、そのダンカンさんが『裸族の王』となり、若い裸族を集め歌って踊る集会を開くというロケを担当した事がありました。会場の多摩川河川敷には、裸と言えば井手らっきょさん、水着美女などと共に、股間に葉っぱを一枚着けた浅草キッドも。すると博士は、いざ本番という時「情けないなぁ。こんな生っ白いカラダでテレビに出るなんて……」と一言。たけし軍団の流れを汲む割に、裸にはちょっと抵抗と迷いがあったらしい若き日――。

 その後は、師匠たけしさんに「キッドは漫才だけで食っていける」と言わしめる実力派コンビに成長しながら、番組の司会や文筆活動でも活躍。ベストセラーとなった『藝人春秋』も、そのプロトタイプ的な『お笑い男の星座』も、博士が出会い観察した経験と記憶の名著。仕事で政治家と会う時には、事前にその人の著書を読んでおくだけでなく、対面の場にわざと持って行くそうです。こちらが芸人とは言え、手にそれをもっていれば相手にはプレッシャーになる、本腰でかかってくれる、というしたたかな狙いがあっての事。自分が歩んできたキャリアの中で、面白いと思ったモノをコツコツと拾っては摂取し続ける博士って、鋭くてエライなぁ……。

 そんな事を、先日ある番組の収録で久しぶりに博士と会い、昔の話をするうちに思い出し考えた次第です。そして、例の“生放送中に番組降板”をやったのはその数日後。橋下徹氏の発言に怒りの抗議!!という形でレギュラーを降りた博士ですが、きっと自分の中で様々な回路を利かせたはず。彼が弾き出した行動なら、僕は全面的に支持します。

 思い出した事がもう一つ。かつて博士は、風俗店の開店初日の列に敢えて並ぶ、という行動を自分に課していた時期がありました。「待つ間は見られて恥ずかしい。でもその先に極上のサービスがある。その経験が自分を強くする!!」そんな理由を熱く語っていたと記憶していますが、きっとそれも今の博士に大きく役立っているのでしょう。
 

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私が選んだ3冊
By.赤江 珠緒

『通販生活』2013年秋冬号より

 最後の一冊は、水道橋博士さんの『藝人春秋』です。博士は「芸能界」という特殊な世界に潜入したルポライターとでもいうべき存在で、北野武さん、石倉三郎さん、古舘伊知郎さん、甲本ヒロトさんなど博士が愛して止まない濃厚な人物たちに深く鋭く迫ります。

 以前、ラジオ番組にゲスト出演してくださったことがきっかけで読んだのですが、人に対する掘り下げ方がすごい。

<ポール師匠は、テレビタレントとして、ホラ吹きキャラで見栄とキザで売ったため軽佻浮薄に見えたが、実のところ品格のある文章の達筆で記す文人であった>

 

 例えばこんな一文が、「指パッチン」で固定されていたポール牧さんのイメージを一新していきます。

 

 私も仕事柄、多くの方と接する機会がありますが、「私はこの人の一面しか見ていないのではないか」と感じたんですね。芭蕉の「秋深き隣は何をする人ぞ」ではありませんが、この本を参考にまわりの人の“違った一面”を探ってみるのも面白いと思います

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